新幹線途中下車の旅 瀬戸  その3

新幹線途中下車の旅 瀬戸  その3

次は柿右衛門。ヨーロッパの王侯貴族の要求に対応して、柿右衛門窯から始まった柿右衛門窯様式のベースは、1670年代に始まった、傷もゆがみもない完ぺきな乳白色素地の完成です。濁し手(ニゴシデ)と呼ばれる乳白色で温かみのある素地を生かしながら、繊細優雅な色絵を施したものが、典型的柿右衛門窯様式です。染付や黒の輪郭線が無いのが特徴で、この様式が有田全体に広がった。ヨーロッパで大変な人気であった。1690年代に柿右衛門窯が急速に消滅したために、それを補うためにヨーロッパでマイセン窯などが発生し、今では日本人がマイセンの陶磁器にあこがれているという状況になっている。

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色絵草花鶴文輪花皿 備前・有田窯 1670~1680年代

こうやって見ると、たしかに柿右衛門は美しいが、どうも当方の方向とは違う。 この繊細さが武骨な当方には縁のない方向に見えてしまう。

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色絵破魔弓熨斗文(ハマユミノシモン)皿 備前・有田焼 1690年~1730年代
当方はどちらかというと、こういう素地の空間を生かさずに、びっちりとダイナミックに迫ってくる方がいい。


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色絵山水草花文小碗 1700~1740年代

1685年ころから、ヨーロッパの宮殿でよく見かける大型の壺などの室内装飾品が沢山輸出された。赤や金が多用されて豪華絢爛になって行く。当方はあまり趣味で無いので、この最も円熟期の柿右衛門様式はパス。 小碗だけ載せます。このあたりから、また染付が混じり込んでくるところが魅力的。

最後に鍋島を少し載せます。
鍋島というのは鍋島藩が将軍家に献上や幕閣への贈答として、厳格な基準に基づいて焼かせた御用品です。1690~1720年代に最盛期を迎えます。1726年には幕府が色絵は華美であると言って禁止して、鍋島焼は終焉をむかえました。 鍋島藩とはすなわち佐賀藩、または備前藩です。 当然、鍋島焼は有田磁器の影響下にあります。 その高度な技術もそうですが、なにか近代的デザイン感覚を感じてびっくりすることがあります。

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色絵唐花文変形皿 備前・有田 1650年代

まだ鍋島の形にハマっていない初期の鍋島。

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色絵三瓢文皿 1690~1720年代 
なにかデザインが斬新でしょ。

9時30分の開館から11時30分まで駆け足で見て、それから尾張瀬戸まで向かいました。 リニモで一駅、愛知環状線で数駅、名鉄瀬戸線で2駅と乗り継いで、尾張瀬戸につきました(陶磁器資料館から尾張瀬戸まで直通バスがあるのですが、本数が少なくて利用しにくい)。 こちらが、瀬戸焼の本拠地です。このまえ、多治見に行ったときに駅前書店でかった、<東海 陶磁器の里ガイド、やきもの小さな旅>という本にしたがって動いています。まずは愛知県陶磁器資料館で陶磁器の全体像を把握せよとあります。これはやりました。そして、尾張瀬戸の瀬戸市美術館を訪ねよとあります。
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Author:山海旅人
山海旅人
<南方から黒潮に乗って流れ着いた人の子孫と思われる>
趣味:おいしい魚をたべておいしいお酒を飲むこと。お魚の料理もいたします。海が近付くと元気になると人にいわれます。

座右の銘:<芸といふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの> 
実写とデフォルメの間に真実があるという意味です。

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