アート考察 その1 2017-2-4 マリメッコ展

アート考察 その1 2017-2-4 マリメッコ展

当方の両眼が飛蚊症に陥って写真撮影で目に負担をかけないために写真撮影/自然教育園ウオーキングから、美術館巡りウオーキングに転向しました。 その後、眼科にいったところ、以前の右目はガラス体が剥離した時少々の出血があったので、視野が一時的に失われたので、血が吸収されれば視野は戻る。問題は網膜がしっかりしているかである。今回の左目も以前の右目も網膜は大丈夫、ガラス体が基底部から外れてブラブラしているから、傷口がゴミのようにブラブラ見えるのだ。飛蚊症は50歳以降だれでもなる、病気と思うな、治療法は無いから薬は出さない。UVカットサングラスは意味ない、ビタミンB12もブルーベリーもルテインも意味ない。すべて意味ない。ということでした。

しかるにガラス体は死ぬまでブラブラ、両目の蚊は飛びっぱなしということになります。
ただ、写真撮影で酷使していた右目は以前の1.2から0.7にがた落ちになっていたことはすておけない。

今後いろいろな展覧会に関して書きますが、行った順番はまったくの順不同で、気ままに書きます。これから書くことは、展覧会の紹介でも批評でもありません。自分のやるべき方向の模索過程の独り言です。

2017-2-4 (土) マリメッコ展
渋谷のBunkamuraでやっているmarimekko展に行きました。Bunkamuraということで、いやな予感がしましたが、やっぱり切符売り場は若い方で長蛇の列でした。マリメッコはフィンランド/ヘルシンキのファブリック、ドレス、インテリアのデザイン・カンパニーです。

さて、100点以上のデザイン展示のなかで、もっとも印象的であったのは下のデザインです。

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マイヤ・イソラ デザイン1959

ただの白地に黒丸、その周囲がわずかに角ばっている。この角ばりがとっても意味があると思うのです。

さて、本題に入る前に、当方の常に持っている論点である、<自然との対立か、融合か> <西洋文明と日本文明>について述べます。これがマリメッコの理解にはとても重要なのです。

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バルセロナ/スペイン カサ バトリョ/アントニ・ガウディ

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バルセロナ/スペイン     アントニ・ガウディ

スペインのガウディは自然の持つパターンを原点とする建築デザインを展開しました。これらは世界遺産にもなっているように、現在も大きな影響力をもって受け入れられています。

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旧郵便局・ブタペスト  レヒネル・エデン

ほぼ同時代にスペインから遠く離れたブタペスト/ハンガリーのレヒネル・エデンもガウディ―とよく似た有機的デザインを展開しました。

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旧郵便局/ブタペスト レヒネル・エデン

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ブタペスト/ハンガリー  マーチャーシュ教会

ハンガリーの土着文化はゴシック建築に対抗して、ぎりぎりの自己文化の主張を盛り込んだキリスト教・教会、マーチャーシュ教会を建てました。

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ブタペスト/ハンガリー  聖ビート教会

キリスト教は制圧した土地に、その権威の象徴であるゴシック建築の教会を建て、キリスト教の名のもとに、マジャール人の土着文化を威圧してきました。この聖ビート教会・ゴシック建築が周囲のハンガリー文化に割り込んで威圧している様子がみてとれるでしょう。

日本人は明治以降、近代化という名目で、約150年間、西洋文化を絶対的にあがめてきた。我々には西洋文明/キリスト教は絶対的に善であるように刷り込まれているのです。

最近見た映画<沈黙>(原作:遠藤周作)は江戸時代の長崎/五島列島における宣教師のキリスト教・布教とキリスト教禁止令を実行する幕府とのせめぎあいの話ですが、キリスト教側からの上から目線の描き方(監督:マーティン・スコセッシ)で、きっと日本では受けないに違いありません。今必要なのは、反対側からの視点と思うのですが。

これを書いてから、監督の<沈黙>に対する思いを読んでみたら、当方の印象に反して、正に西洋式キリスト教の暴力を批判し、「今、一番危険に晒されているのは、ここ5年ほどに生まれた若い世代です。勝者が歴史を勝ち取っていく世界しか知らない。世界はそういうものだと思ってしまってはいけません。また、物質的・技術的になった今の世界だからこそ、人を信じるという心を真剣に議論すべきなのです。」といっています。正に反対側からの視点で描いたといっているのです。 しかし、 監督がいくら頭で思っても、体に刷り込まれた西洋・キリスト教の感覚と、当方の東洋の感覚にずれがあったのかもしれません。ご興味ある方はご自分でご覧ください。

キリスト教は常に侵略的であり、排他的です。われわれにはキリスト教的刷り込みがはげしく、対立するユダヤ教やイスラム教の立場からの視点を想像できないほどです。例えば十字軍の行った反キリスト教信者に対する大虐殺などはその反対側から見るとどうなるかは考えたことも無いのです。

しかし、そんな150年にわたる近代化の流れの中でも神道や仏教の感覚は脈々と日本人に流れています。

キリスト教の支配する欧米の政治・経済における行動パターンは、キリスト教では
<世界が神・人・自然の順番に配列されている>ことに起因します。動物はヒトの為に存在すると聖書には明記されており、人は一般的生物からどこまでも遠ざかる(超越する)ことを目指しているのです。自然はヒトに支配され、対立する構図が生まれます。

(トランプ現象はこの上から目線のキリスト教・ドグマの一方的押し付けによって生じたアツレキがはじけて、このドグマを叩きのめすことによりその矛盾の解決を試みている。)

一方、神道/仏教は常に人は自然の一部であり、人は自然と同化することを目指しています。

(この西洋文明・キリスト教至上主義と神道/仏教の自然融和主義の双方を合わせ持つ日本人はキリスト教とトランプ現象の真ん中に入ってどういう道をとるのでしょう。)

トランプはさておいて、

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浜離宮庭園からのビル群

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東御苑からのビル群

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最近美術館めぐりの中間点としてうろうろしている六本木ヒルズ

都会のビル群を見れば、欧米的近代化の先端として素直に誇らしく思う人と、人が自然から離れて様を密かに恐ろしく感じて、なんとかこの様そのものを自然として受け止めて自分をだましてしまおうとする人、あるいは諦めてじっと耐える人がいるだろう。

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ちなみに六本木ヒルズに巨大なクモのオブジェイがあります。少しでも人を自然に留めておきたいあがきの表現と思うのです。

近代化=キリスト教・ドグマ=自然から人を引き離す
よって、近代アートは、無機的に、モノトーンに、曲線より直線に。しかし一方で常に自然から離れることを恐れ、その間で揺れ動く。

さて、ながいながい前置き後にマリメッコ展にもどります。 なぜ、フィンランドのマリメッコはひとびとに受け入れられたのだろうか? 長い切符売り場の列が示すように、日本人、特に若い人はマリメッコのデザインが好きなのです。

そのデザインはシンプルで、一見、キリスト教的、自然と対立する無機的デザインであるかのように見えて、その根底は強く自然と結び付いています。白地に黒玉におけるわずかな角ばりが自然との結びつきを暗示すると思うのです。

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マイヤ・イソラ デザイン 1961

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マイヤ・イソラ デザイン 1964

マリメッコのデザイナーは複数いて、入れ替わりながら商品を作っています。 上2点のようなとてもシンプルなデザインと、下2点のような、かなり自然を直接表すデザインの間を揺れ動いています。

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アイノ・マイア・メッツオラ デザイン 2012

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マイア・イソラ デザイン 1926

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石本藤雄 デザイン 1986

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石本藤雄 デザイン 1986

日本人のデザイナーも活躍しており、上2枚のデザインは日本着物的方向を織り交ぜているのでしょう。 上のデザインは水面に浮かぶ染料のパターンから起こしたと思われますが、当方の追いかける水面/波パターン撮影で何度も出会っているパターンです。実はこのパターンは当方のおいかける中核的パターンなので、マリメッコでも取り上げていることはうれしいことです。さらにこのデザイン化の手法は、マリメッコ展で2番目に当方に迫って来た絵なのです。

日本の伝統文化はもともと自然と融合することを目的としており、自然を表現するにはなにも苦労することがないのです。むしろ、近代的感覚にどうやってマッチさせるかのほうが課題となるのです。ここにもマリメッコ理解のヒントがあります。

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脇坂克二 デザイン  1973

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マイヤ・ロウエカリ デザイン  2009

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脇坂克二 デザイン 1971

上3点のように<自然イメージ>と<シンプルデザイン>のほどよい融和デザインはマリメッコの神髄を表しているように思います。

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ペンツティ・リンタ デザイン 1974

上のデザインのように多くの色を使う場合もありますが、当方には下のデザインのように色を3色に、意図的に限定する方向が大変印象的です。十分計算された、限定された色において、人を引き込む方向は、当方の発想を転換する強烈なインパクトがあります。

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アンニカ・リマラ デザイン 1967

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アンニカ・リマラ デザイン 1967

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アンニカ・リマラ デザイン 1967


上の2点は一つのモチーフのバリエーションで多くのデザインを生んでゆく手法の例ですが、この手法も印象的です。

少ない色、一つのモチーフの使いまわし、これらは全くの逆転の発想です。なぜこれで人を引き付けられるのだろうか? そこには自然に深くはったの根っこの存在に大きな意味があるに違いありません。

ヒトから離れて無機的に走る近代的(すなわちキリスト教的)デザインの方向と、その逆のヒトの自然への憧れの深い根っことの融合を、少ない色と一つのモチーフで達成するとは、なんということでしょう! 言ってみれば、思いっきり自然を根っことしたモチーフをシンプルにすることによって、近代的に見せるということになります。これがマリメッコの秘密の手法なのでしょう。

フィンランド人に根差した自然への感覚をシンプル化によりモダン化した流れと、マリメッコ初の外人デザイナーが森脇克二という日本人であった、つまり同じように自然に融合する感覚の持ち主である日本人が一番この流れに乗りやすかったということである。そして、日本の若い方がマリメッコが好きであることは無論、世界中がマリメッコを愛したということは世界中が結局は自然から離れられないことを意味している。

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マイヤ・イソラ デザイン1964

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マイヤ・イソラ デザイン1964

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アイノ・マイア・メッツオラ デザイン 2012

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マリメッコ展はこれでおしまいです。写真は全てマリメッコ展カタログからのコピーです。写真が汚くてすみません。




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Author:山海旅人
山海旅人
<南方から黒潮に乗って流れ着いた人の子孫と思われる>
趣味:おいしい魚をたべておいしいお酒を飲むこと。お魚の料理もいたします。海が近付くと元気になると人にいわれます。

座右の銘:<芸といふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの> 
実写とデフォルメの間に真実があるという意味です。

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