工芸相互乗り入れへの挑戦  その1

工芸相互乗り入れへの挑戦  その1

2017-1-14
目黒で行列のできる<いきなりステーキ>にトライしたついでに、庭園美術館で始まったばかりの並河靖之展に立ち寄りました。並河靖之は幕末から明治初期にかけて活躍した七宝の大家です。

以下、並河靖之七宝のカタログからのコピーです。
蝶の絵柄
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蝶のデザインは現物からの発想ではあるが、現物と同じではない。とても参考になる。ついになるバックの絵柄もユニークである。 これらデザインは並河靖之ではなく、別の絵師がかいている。

鳥の絵柄。鳥撮りをしている関係上、鳥を絵柄につかうことも考えなくては。並河靖之は木々の表現の一部として控えめに鳥を使う。これは当方にとって好ましい方向である。

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花の絵柄。種々の花の絵柄がある。当方にとって大変参考になるが、装飾性が過多で自然をオーバーランしており、当方の方向とは少し違う。

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波の絵柄。波はよく使われたそうである。 銀隔壁の厚みを変化させて波を変化させている。

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後期の作品  後期には銀の隔壁を取り外す手法が使われ、より日本画的になって来た。当方にとっては、はたしてこれがよりよい効果をもたらしたかは疑問に思える。七宝らしさが消失し、印刷陶器に近づいてしまったのではと思うのである。

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七宝から学んだこと
1) 七宝の釉薬は銀用、銅用など使う金属に熱膨張係数を合わせている。つまり釉薬はベースや隔壁に使う材料との熱膨張係数の一致させたものが、それぞれの用途(陶芸、七宝、ガラス工芸)によって市販されており、 用途をクロスさせると釉薬の焼き上がりにひび割れが生じる。
2) 上絵を描くのは白地釉薬の上に決まっていると思い込んでいたので、当方のバックは白のみであった。しかし、七宝では色は全て釉薬だから、バックも模様と同列の釉薬で、黒や緑や土色などバラエティー豊かである。特に黒のバックは単純な黒ではなく、複数の色を混ぜて黒を作っており、極めて魅力的である。バックの色付けは重要で、有効だ。
3) 絵柄はマイナーチェンジで使いまわしている気がする。これでいいのだ。
4) 七宝のベースは平板か単純な円形立体である。金属加工のやり易さとニーズからそうなってきたのだろう。やっぱり立体造形には陶芸がベストという気がする。


七宝を見て、ここで、これまでの陶芸における当方の試みをまとめてみる。

ここから先はごたごた面倒なことを書くので、<色立体>に興味ある方だけ読んでいただければ幸いです。

当方の命題は<色立体>である。色立体は極めて自然な造形でありながら、工芸において思った以上に存在していない。工芸の立体造形は平板又円筒のバリエーションにすぎないのだ。なぜなのだ?

<色立体>の先駆者、ニキ・ド・サンファルから始まって、岡本太郎、ピカソ、フェルナン・レジェ、ガウディ―と色立体を追いかけてきた(それぞれブログに書いた)。

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ニキ・ド・サンファル

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岡本太郎

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ピカソ

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フェルナン・レジェ

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ガウディ―

ニキ・ド・サンファルは別だが、なぜか形を追う人は色を軽視し、色を追う人は形を軽視するのである。

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形を追う陶器

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色を追う陶器

工芸手法も、陶芸から始まって、ガラス工芸、その中でもトンボ玉、フュージング、 パート・ド・ベール、吹きガラス、サンドブラスト、切子、ガレの手法、さらに今回、七宝と追いかけてきた。

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トンボ玉

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フュージング

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パート・ド・ベール

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サンドブラスト

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切子

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吹きガラス

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ガレのガラス器

形と色の2つのベクトルにおいて、それぞれに問題をはらんでいることに気が付く。

陶芸は最も自由に立体を作ることが出来る。ところが、陶芸をやっている方でこれを認識している方が少ない。陶芸家の大部分はロクロでシンメトリックな丸い立体を作っている。日本伝統工芸展で述べたようにここに展示された作品の90%がロクロの丸い作品である。何故か、ろくろワークが日本伝統の陶芸と決めつけている。なんで、陶芸の最大のメリットである立体形成の自由さを放棄するのか? 当方はまずこれに反発した。

その結果、当方は、貝シリーズでシンメトリーから脱却した。

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当方の貝シリーズの最近の作

次に立体の成型の発展を目指して、3Dプリンターと陶芸の融合を試みたがいまだ達成できない。
そんな時、2016年初、チームラボの提唱する<超主観空間>が当方に衝撃を与えた。

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チームラボの一場面、参加型アート

<超主観空間>
1) 西洋では自分から見た対象を外側から表すという自分と対象は完全な対立関係にある。 自分は対象の中にあり、その印象を内側から表すというのが日本古来の表現方法であり、西洋の概念と大きく異なる。対象は主観の内部にあり、同時に主観は対象の内部にある。
2) 西洋は3次元、4次元の対象を真正面から再現したいという試みているが、日本は2次元の集合として、3次元も4次元も自在に表現する方法をあみだしてきた(屏風,絵巻物、扇子、借景、 窓、----)。

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チームラボの主張と当方の受け止め方が一致しているは分からないが、<超主観空間>を自分なりに受け止めて、当方は以下の行動に出た。

立体に関して3Dブリンターやバーチャル・リアリティーにより現実に近づこうとする西洋的アプローチが理想に向かうのが唯一の道ではない。自分は対象の中にあるのだから、可能な手法をいかようにも組み合わせ、印象を内側から表せばいい。そこには制約は無い。2次元の集合として立体を表してもいいのである。2次元と3次元を組み合わせてもいい、自由である。

この流れの中で、<色立体>を目指して、当方が試みているのは複数の工芸手法の融合で、現在はガラス工芸と陶芸の融合である。後に述べるように工芸手法の制約をオーバーカムして、<色立体>を達成するには複数の工芸手法の融合が必要なのだ。

まずは形のベクトル。
より自由な立体を。立体は2次元の陶器の組み合わせでもいいではないか。2次元と3次元の組み合わせでもいいではないか。貝シリーズよりさらに発想を自由に。

次に色のベクトル。
陶芸の通常の釉薬は上乗せ、混合、修正が難しい。その制約から、伝統的に渋い色を良しとする陶器の固定概念が生まれた。作り手もユーザーも強い固定概念に縛られている。

陶芸でも絵画のような自由な色使いが出来ないだろか? 当方の母体は絵画であるから、どうしても絵画的色使いを目指すことになる。

陶芸の釉薬の制約をオーバーカムするために、よりクレア―な色を目指して、当方は上絵(上絵とは例えば九谷焼)にシフトした。 色はだいぶクレア―になったが、上乗せ、混合、修正が難しい点は同じである。しかも、筆使いは絵と同じに行かない。上絵具の性質上、筆で絵具を置いてゆくのであり、筆を走らせることはできない。絵を描くのではなく、モザイクに過ぎない。絵画の色使い、筆使いとは程遠いのである。

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当方の貝シリーズ初期の作品、上絵の点描

次にクレア―な色と、色の融合を目指して陶器の色付けにガラスを使うことを試みた。

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当方のガラスを使った陶板、絵画的アプローチの試作品、現在は立体へ向かっている。


ガラス工芸は多岐にわたる。陶芸が伝統の流れにより一定の技術に集約されてきたのに対して、ガラス工芸は新しく、しかもその材料の開発が日進月歩であることから、手法がいくつもの流れに分裂している。吹きガラス、サンドブラスト、切子、パート・ド・ベール、フュージング、トンボ玉いずれもかなり独立した手法である。ガラス工芸は多岐にわたる工芸が独立して乱立しているのである。逆にそれだけ、興味がわく。
ガラス工芸は陶芸に比して立体作成、色付け、いずれに関しても制約が大きいことがわかった。その制約に挑戦すると、大変な労力が必要になる。 しかし、その透明感や質感の魅力は大きい。


陶芸とガラス工芸の融合を試みる内に大きな問題点が3つあることに気づいた。
1) 熱膨張率の違いが最大の問題である。陶器地にガラスを釉薬として使うと、焼成する際の冷却時にベースの陶器と表面のガラスの熱膨張係数が違うために、ひび割れが生じる。陶器は釉薬のひび割れに寛容で、多くの場合ひび割れを歓迎するが、ガラスのひび割れが進行しすぎると、せっかくの透明感が失われることと、ガラス剥脱によるユーザーのけがの危険性が生じる。陶芸の釉薬や上絵具は焼成によりガラス化するが、熱膨張率を合わせてある為にひび割れが抑えられている(わざわざひび割れを起こすように意図された釉薬もあるが)。七宝においては、釉薬は隔壁に使う銀の熱膨張係数に合わせて作られている。陶芸、ガラス・ワーク、七宝は、独立してそれぞれの熱膨張係数を合わせた色付け用の釉薬素材が開発されて使われているのである。すなわち相互乗り入れは困難なのである。
2) ガラスは異なる素材同士の融合により激しく変色する場合がある。このルールは
一定せず、トンボ玉用ガラス、パート・ド・ベール用ガラス、フュージング用ガラスとみな違う反応を示す。これが相互乗り入れのやっかいなハードルとなる。
一方、陶芸釉薬は異なる釉薬同士の融合により激しく反発しあう場合が多く、融合はさらに限定される。絵画とはとても異なった制約があるのだ。
3) 釉薬なりガラスなりを使うと、焼成が入るので、絵画のように色を置きながら、次の展開を考えるというステップをとれない。一発勝負なのである。上絵はある程度繰り返した修正が可能であるが、一般的釉薬、下絵の具、ガラスはほぼ一発勝負となる。
いずれにせよ、絵画と同感覚で絵を描くということはできない。陶芸では、色は塗った時と焼いたときの色が異なるから、日本画の一発勝負よりさらに厳しい一発勝負となる。

つまり、なぜ<色立体>が一般的でないかがわかった。原因の大部分は技法的制約に起因するのである。 ピカソも岡本太郎もトライはするが、なぜ満足な<色立体>を作れなかったか? それは技法的制約にあったのだ。
工芸の各ジャンルでは、それぞれに技法的制約を持ちながら、その中で技法を磨いてきた。そして、それぞれに世に受け止められるための妥協点を見出した。その結果、完成した工芸技法は、それぞれの技法的制約から、工芸の相互乗り入れは難しい状態に至ったのである。これをオーバーカムするには一から技法を創生しなければならない。ニキ・ド・サンファルはプラスチックを多用することによりこれを一足飛びに克服して、<色立体>を作った。

技法的オーバーカムの次には、色と形の双方のベクトルにおいて卓越した感性が求められることになる。ニキ・ド・サンファルはこれを突き抜けた。

よって、工芸の相互乗り入れは容易ではない。<色立体>の命題達成は容易でない。

それでも、当方は何故か<色立体>に挑戦するのである。

ニキ・ド・サンファルは卓越した色と形の感性が先にあって、それを表現するに使える手法を自由に大胆に組み合わせてそれを表現した。当方の原動力もそうであってほしい。しかし、いずれにせよ表現する手段を手に入れなければ先に進めない。

何とか今年中に表にだせる形にする。2017年初にそう宣言したのである。







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Author:山海旅人
山海旅人
<南方から黒潮に乗って流れ着いた人の子孫と思われる>
趣味:おいしい魚をたべておいしいお酒を飲むこと。お魚の料理もいたします。海が近付くと元気になると人にいわれます。

座右の銘:<芸といふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの> 
実写とデフォルメの間に真実があるという意味です。

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