ピアニッシモからフォルテ ~その5 ニキ・ド・サンファルと岡本太郎-2~

ピアニッシモからフォルテ ~その5 ニキ・ド・サンファルと岡本太郎-2~

昨日のリベンジで、今日, 2015-10-11は青山の岡本太郎記念館に行く。なんとここは撮影全くOK。当然でしょう、撮影禁止というのは、自信の無いアーティストのいうタワゴト。さすが青山というか、岡本太郎というかとにかく粋である。 川崎の岡本太郎美術館で買えなかったグッズも買えたし、とんでもなく多くの撮影が出来た。ただ不思議なのは、記念館では美術館で売っていた岡本太郎作品の載った本が一冊も見当たらないこと(見落としたのかな?)。岡本太郎著の本の数々と、おもしろグッズはいっぱい売っているのに。

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二階から撮った記念館入口。

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入口をはいると、すぐ圧倒的迫力が演出されている。

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その横には、岡本太郎の面白グッズと数々の著作。

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一階のリビングだろうか、面白立体が所せましと飾られている。

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その奥に岡本太郎の仕事場がある。

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当方が、今もっとも欲しているのは、このようなアートの為の仕事空間。当家にはどうしてもこのような空間を作り出すことができない。それでも必死で、数畳の空間を生み出そうと、過去の保存品をクロゼットや物置から捨てまくっている。一つ一つ青春の思いをつめたレコードの山もとうとう捨てるはめとなった。

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岡本太郎の放埓な色彩の絵から、なぜモノトーンの立体になってしまうのか? 相変わらず違和感がつきまとう。

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色のついた立体もあるが、彼の絵からみれば、ほんの付け足しに見える。

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彼の原点はピカソにあると見た。岡本太郎著、青春ピカソという本を買ってみた。そこに原点があると思ってである。読んだらまた何か感想を書けるかもしれない。

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<殺すな>とは、アメリカの仕掛けたベトナム戦争に反対して、岡本太郎が書いた言葉なのである。当時の共産主義の拡大にアメリカが対抗して、朝鮮戦争やベトナム戦争を引き起こし、日本を防衛の為という名目で、安保条約と自衛隊の結成を強要しこれが、平和主義の逆行として大きな反抗運動を引き起こした。日本内に共産主義者排除、レッドパージが横行して、そういう激動の中で、岡本太郎は黙らずに動いたのだ。現在も中国、北朝鮮の動きに対応するという名目で、集団的自衛権の行使に踏み切った。当時を知る者にとって、現在の動きはその時とちっとも変っていない、アメリカの強要と写る。いいか悪いか、当方の考えはすでにブログで述べた。

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庭にでると、岡本太郎の立体がひしめいている。これが当方の知りたかったこと。ところがここでも、岡本太郎の立体はモノトーンが基調なのである。

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岡本太郎記念館の入り口にはカフェがあり、岡本太郎美術館のカフェで食べられなかったリベンジにここで食べようとおもったのだが、値段があまりにリーズナブルで無かったので、ここを出て、Smokyでソーセージを食べることにした。結果は正解、とってもリーズナブルで美味しかった。30年前に骨董通りはLive JAZZ, Blue Noteに月一くらいで通っていた思い出の通りである。そのときからSmokyは有名で、まだ健在なのはとっても嬉しい。肝心のBlue Noteは姿が見えない、つぶれたのか、移ったのか? 調べたら、だいぶ昔に骨董通り沿いから丁度岡本太郎記念館のそばへ移ったようである。10、11月のスケジュールをみると、キャンディ・ダルファー(sax)、 デヴィッド・サンボーン(sax)、 ジョン・マクラフリン(g)、 ケイコ・リー (vo,p)、 大西順子(p) 受けそうなおなじみのメンバーがぞろぞろと並んでいる。なにも変わっていない。あれから30年たっているのだから、みんなじいいさん、ばーさんになって、ちゃんと演奏できるのだろうか? なんだか、どーーと懐かしく、岡本太郎以上にむかしの元気を呼び起こしてくれた。

さて、当方は何を求めて動いているのでしょうか?
陶芸では、形を追求するなら、色は捨てろ、色を追求するなら形を捨てろといわれます。実際に、形を追求する器はモノトーンがほとんど。色を追求する器は九谷焼や伊万里焼のように絵柄が中心にわかれています。彫刻の世界でもほとんどモノトーン。画家が立体を作った場合、ピカソ、ミロあたりが色々、色が付いた立体を作っていた記憶がある。
そうそう、ガウディも色つき立体が好きである。

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アントニ・ガウディ、グエル公園

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パブロ・ピカソ

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パブロ・ピカソ

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パブロ・ピカソ

ピカソの器は色彩豊かであるが、西洋の器は色彩豊かなものが多く、ピカソが特別な手法を使ったとは思えない。

しかし、今NYでピカソの彫刻150点による展覧会が開かれているようであるが、その風景をみるに、おどろいたことにほとんどがモノトーンなのである。

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素人から発展したニキ・ド・サンファル。そして、岡本太郎はどうなんだ? 今回の調査で岡本太郎は意外にも立体のほとんどがモノトーン。これはガッカリだ。岡本太郎がつくった陶器、斬新ではあるが茶器の色は伝統的陶芸の範疇を出ない。

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大きなことを言う岡本太郎に、人々は結構、その通りと思っているに違いない。 当方の調査では、彼の尊敬すべきところは、悪く言えば、これほどショウも無い立体をいかにもすごいように見せて、日本中をそう思わせたというその根性、良く言えば、既存概念を打ち破ろうとする命がけのエネルギーそのものにある。絵のほうは立体よりはまだましだが、その根本は<ピカソの衝撃>の延長線上にあり、そこから突き抜けたとは思えない。 
立体に色を付なかったのは、単に技術的問題なのか?ピカソですらモノトーンだから、俺もモノトーンでいいのだといっているのか? 石膏型から何体も複製できるからから、ビジネス上、色を付けない方が有利というようなよこしまなことを岡本太郎が考えるはずはないし。

ニキ・ド・サンファルがいとも簡単に立体にべたべたと色を付けられたのは、彫刻の本体がポリエステルだったから、ラッカーや油性パステルでべったりと色を塗れたからにすぎないのか? 岡本太郎がコンクリ―彫刻や陶芸茶碗に自由に色をぬるまで、色つき彫刻にこだわらなかったか、こだわれなかったか?   

実際当方も、焼き物の色をニキ・ド・サンファルのようにべたべたにするには、それなりにえらいたいへんで、陶芸の先生はだれも積極的に教えてくれない。陶芸を教えてくれる先生はおしなべてそのべたべたを心底毛嫌いしているから、日本の陶芸界ではやりにくい(べたべた用うわぐすりというのがあるのだから、きっとそのべたべたに挑戦している陶芸家はいるのだろうが、周囲には見当たらない)。この前作った花器を出来るだけ真紅のべたべたトーンにしたいといったら、周囲から猛反対にあった。結局タイル用赤顔料で、べたべたにした。

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ニキ・ド・サンファルも岡本太郎も尊敬すべきは当時の常識に従わずに己の心に従ってやり通したことにある。やり通したということは、それを世の中に認めさせたとうことであり、それが重要だ。勝手にやることは誰でもできるが、それを世に認めさせるということが大変なことなのだ。
己の心に従ってやり通すということは誰でもできるといったが、それもそう簡単ではない。当方ですら、陶芸でも写真でも、周囲と違ったことをやることは、自分から湧き出でるものを持っているという基本とそれをやり続けるにとんでもないエネルギーが必要なことが分かる。ニキ・ド・サンファルや岡本太郎を見に来る若い方はそれを解ってか無意識か知らないが、そのエネギーに引き寄せられるのだ。岡本太郎美術館にせよ記念館にせよ、全く意外にも若い人がいっぱい訪れて活気に満ちているのである。このどうしようもない下手くそな岡本太郎、おそるべし。
岡本太郎のお母さんの岡本かの子も太朗は上手くないと言っているからそういってもいいだろう。今日の日曜美術館で、日本に最初に洋画をとりこんだのは五姓田義松であるが、この人物は忘れ去られているという話があった。江戸から明治に入った時期の義松はものすごく上手い絵を描く腕を持ち、洋画を日本に持ち込んで、20才台でいきなり一等賞をとって、フランスにわたっても西洋人に伍して賞をとったが、これをピークにその後、全く売れずにそのまま一生を終えたという。時代の変化に乗れなかった職人気質が災いしたと解説していたが、上手いということが人の心を捉えると同義語ではない例になってしまった。
これも日曜美術館で紹介していた、童謡のまど・みちお(象さん、象さんお鼻が長いのね---の童謡作家)の書いた絵はまったく我流で、一般的にいえば上手くは無い絵なのであるが、不思議に人の心をとらえる。作者が何を思っているか、静かに、しかし痛烈に伝わってくるのです。さっそく超レアものですが、画集を買ってしまいました。

さて、久保田一竹の辻が花から始まって、まど・みちおの絵、ニキ・ド・サンファルの立体、岡本太郎の立体と立て続けに、陶芸のアイデアを生みそうな題材をかき集めて、当方はこれからどうするのだ。絵画と焼き物の融合を目指して、陶板から絵画への平面的融合路線と、立体から色彩立体による絵画への立体的融合路線と2つの道を追っている。いずれはこの両者はさらに融合して、平面と立体、焼き物と色彩はみな一堂に会するのだ。

京都でベンチャーをやっていた時は決して過去の決断を悔やむことはしないと思っていた。過去になにを決断しようが、過去の決断の正否をうんぬんすることは何も生まない、やるべきことは前を向いて、次の手を打って行くことをやり通すことであった。ここでは言えない、ある事情から、このベンチャーをたたんで、もう4年目に入る。その時のエネルギーがどこいってしまったのだろうか。あっという間に、ふぬけた老人になってしまった。 しかしながら、そのベンチャーをたたんだ時決めたことをふぬけであろうがなかろうがかまわずに進めている。 LifeSeq㈱を一人で動かしてでも、<Micro Arrayの解釈>が世のためになると信じて、これを実証しようとすることと、サイエンスビジネスからアートビジネスに移行するということだ。
何かを表現するに、色も立体も使えるものは皆使えと思う、それができないのは、伝統に安住しているからか、その双方を扱う能力が無いに過ぎないと思う。大きなことを言う岡本太郎にしても、出来ていないじゃないか。といって、彼を軽んじるつもりは全くない。だれも人生は精一杯やっている過程に過ぎないのである。

自分で、自分に限界を作る必要は無い。あと20年生きるとすると、彼らの45才である。そのころには彼らは世に知られた作品を残している。当方だってできないことは無い。それまで生きないとしたら、それはそれでいいじゃないか。



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Author:山海旅人
山海旅人
<南方から黒潮に乗って流れ着いた人の子孫と思われる>
趣味:おいしい魚をたべておいしいお酒を飲むこと。お魚の料理もいたします。海が近付くと元気になると人にいわれます。

座右の銘:<芸といふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの> 
実写とデフォルメの間に真実があるという意味です。

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