東海道途中下車の旅-2 多治見 その1

東海道途中下車の旅-2 多治見  その1

神戸に仕事で行くことになりました。また途中下車の旅が出来ます。今回は琵琶湖を離れて岐阜の多治見に行きました。多治見へは名古屋から中央線快速で30分、内陸へ入ります。美濃焼の里です。名古屋を中心に、瀬戸、多治見、常滑、伊賀、信楽など続々と焼物の里があります。なぜ多治見を選んだか、結構深いわけがあります。これからの人生の一つの選択肢として、どこかの窯に入り込んで、焼物にのめりこむことを考えているからです。もうこの辺で世俗とは縁を切って生活するということを考えてもいいのではと思っているのです。うじうじこれまでのことに足を突っ込んだり、抜いたりしているよりすっぱりと縁を切る、切るなら切るで、徹底してやった方がいい。東京にするか、京都にするか、沖縄にするか、多治見にするか。  でもね、資金がいるのです。今働いているのは、いやこれまでベンチャーを作って働いてきたのもみな、その資金を得るためだったのです。
   奄美大島で余生を送った田中一村のように、全てを捨てて、お金なぞなくてもボロ家にすんで、絵を描き続けて死ねばいいという、そこまではとても考えることが出来ません。これからわずか10年もないのに、すべてを捨てて、陶芸あるいは絵を始めても、すべてを捨てた意味を見出せるかどうか全く分からない。才能があっても、なくてもさまになる一芸に達するまで、10年なんてとっても足りる年数ではありません。
  そんなわけで、どうやって資金を作るかというまったくの世俗行為と、どこでどうやって世俗を捨てるかの模索を並行してやっているのが現状なのです。アホかといわれても、当分この双方を追いかけるでしょう。なんとなく、それでいいと上賀茂神社の神さまが言っているような気がするのです。答えは自然と表れるでしょう。
  多治見の駅前ホテルで一泊して、市之倉地区の幸兵衛(コウベイ)窯に向かいます。<1804年、初代加藤幸兵衛が開窯して、江戸城本丸、西御丸へ染付食器をおさめる御用窯となった。六代目加藤卓男は人間国宝となり、七代目加藤幸兵衛と次代の加藤亮太郎が現在活躍中である。幸兵衛窯はミシュラングリーンガイドの二つ星に認定されている>とパンフレットに書いてあります(ものすごくはしょりました)。

結論をいうとここはとってもいい所だ。なぜかというと全て撮影OKであるから。この3人の焼物もとてもいい。沖縄のやちむんの旅から日をおかずにまったく毛色の違った加藤一派の焼物を見て、これだけ焼物を頭に叩き込こんだら、何かが生まれなければウソだ。



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人間国宝、加藤卓男さんの作品を少しのせました。この説明と続きは明日。今回もリコーGXR+マウントA12+フォクトレンダーカラースコパー35mm F2.5 PII一本で全ての撮影をしています。ピントが合えば、おそろしく細密な描写をみせます。
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東海道途中下車の旅-2 多治見 その2

東海道途中下車の旅-2 多治見 その2

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これは加藤卓男さんのノートです。加藤卓男さんの情熱のすごさがこのノートにみてとれます。シルクロードのあちこちに旅して、陶器の研究を続けて、試行錯誤を繰り返していたことがわかります。

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大変な努力をしているのです。

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もっとも古い時代(紀元前10世紀から紀元後5世紀)のシルクロードです。

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紀元後7世紀から13世紀あたりから直接西の文化がシルクロードを経て日本に到達していたのです。

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紀元後14世紀から18世紀は海のルートが中心となり、大陸のシルクロード拠点は衰退してゆきます。
この間に、シルクロードの拠点では色々な陶器に技術が生まれては消えて行ったのです。
紀元9世紀のころのメソポタミアで生まれたラスター彩に加藤卓男さんは特に魅かれ、それを多治見で再現し、独特のラスター彩が生まれたことが加藤卓男さんの一番の特徴となっています。メソポタミアで金属の使用が制限されたことにより生まれた、金属のような光沢をもつ陶器です。加藤卓男はラスター彩の復元に20年を費やしているのです。

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このラスター彩が日本の感覚と上手くドッキングしたことにより、現在の我々の持っている西洋と東洋がミックした感覚によくマッチします。加藤卓男というとラスター彩と決めつけますが、彼がそれ以外にとてもいい感覚で、シルクロード上の陶器を日本陶器に取り込んでいることがわかりました。さっきから引き込まれている青釉は、ペルシャンブルーといわれている西アジアで最も古い釉薬です。5000年前から使われていたと考えられています。イスラム時代に花咲いて、13世紀モンゴルのペルシャ侵略で衰退したと言われています。加藤卓男の青釉が当方を最も惹きつけます。焼物は釉薬と焼き方による色の出し方にその究極の目標があるということを思い知らされました。

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加藤卓男は色々な試みをして、青彩を表現しています。もう一つは三彩です。三彩は唐三彩を源流としてペルシャ三彩からイタリア三彩にまで広がります。日本では奈良三彩として伝わりました。加藤卓男は正倉院におさめられている焼物における奈良三彩の復元を政府から依頼されて、これに挑戦します。一彩、二彩、三彩と試行錯誤を続ける加藤卓男の軌跡が飾られています。この三彩が美濃焼の中に流れ込んで、今の美濃焼が出来ていると思われます。美濃焼とシルクロードの関係は明日にでも勉強してみましょう。

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東海道途中下車の旅-2 多治見 その3

東海道途中下車の旅-2 多治見 その3

本館向かいの古陶磁資料館に入ります。

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ペルシャ、中国、朝鮮、日本の古い陶器が展示差されています。

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裏庭には桃山様式の半地上式穴窯があり、年に1,2回焼成されるそうです。

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ペルシャ・セルジュク朝 ラスター彩 タイル  11~12世紀

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スペイン・マニセス ラスター彩鳥文鉢 17世紀

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イラン・グルガン 青釉動物置物 12~13世紀

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イラン・グルガン 青釉銀化水注  青釉が土中で銀色に変化したもの

青釉の原点だ。青釉はいいな。

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イラン・パボール 青釉双鳥文鉢 13~14世紀 イラン・アモール 青釉鳥文鉢 14世紀

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ペルシャ三彩彫花文鉢

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青釉双鳥文鉢

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イラン・アモール  青釉点文鉢 14世紀

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ペルシャ三彩鉢



ここから日本の美濃古陶器ですが、ペルシャの三彩の影響を受けているとは思いませんか。
美濃焼の日本離れた模様は、どうしてこのようなパターンが生まれたのか不思議でした。日本人のオリジナルにしては斬新すぎます。どうも、シルクロードのパターンの影響を受けているとしか思えません。

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弥七田織部高台鉢 美濃 江戸時代 

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青美濃幾何文向付  美濃・倉屋敷 桃山時代 16~17 世紀

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織部 桃山時代 16~17世紀

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隣の常設窯出し市をちょっと覗きます。

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あんまりいいものを見た後では、申し訳ないけれど普及品の焼物は買う気が起きません。

ウイキペディアから織部焼に関する記述をちょっと紹介します。千利休の弟子であった大名茶人、古田織部の指導で創始され、織部好みの奇抜で斬新な形や文様の茶器などを多く産した。当時の南蛮貿易で中国南方からもたらされ、茶人たちに珍重された交趾焼(華南三彩)を元にしたと考えられる。釉薬の色になどにより、織部黒・黒織部、青織部、赤織部、志野織部などがあるが、緑色の青織部が最も有名である。織部黒・黒織部は茶碗が殆どあり、それ以外は食器類が大半を占める。>

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黒織部

幸兵衛窯のようにパターンの発祥と伝搬を軸に説明してくれると、当方にはとって理解できるのです。他のところで中国、朝鮮から色々な文化が日本に入ってそれがいかに変化して日本独特の文化になっていったのかというきちんとした説明に出会ったことがありません。その中心人物である渡来人の話も陰にかくれています。どうしても意図的に、朝鮮からの文化の移入をぼやかしておきたいという戦前の日本の意図がそのまま後尾引いているに違いありません。もういい加減に、きちんとした説明をしないと、とっても困ったナショナリズムが発生してしまいますよ。加藤卓男さんや幸兵衛窯を見習ってください。

東海道途中下車の旅-2 多治見 その4

東海道途中下車の旅-2 多治見 その4

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古陶磁資料館のとなりの工芸館にはいります。5代目幸兵衛と7代目幸兵衛および次代、亮太郎の焼物が展示されています。

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唐三彩において、時として黒い発色となるのを黒彩といって貴重なものであったが、7代目加藤幸兵衛が長年の研究でこの黒彩を再現し、少し淡い色であったので、銹彩、またはむらさき銹彩と名付けた。 おかみさんが、これが最近の売りだといって説明してくれました。器を逆さにして釉を流すのだそうです。このおかみさんも商才にたけた方のようにお見受けした。 200年前の福井の古民家を移築して、古陶磁資料館としているなど、この幸兵衛窯の全体レイアウトも決まっているし、人間国宝となった加藤卓男さんの才能は無論だが、加藤一派はそうとうな商才のある人物が存在しているはずです。全て撮影してもいいですよという太っ腹の幸兵衛窯ですが、これからの写真のように、すごい宣伝になるのですから、撮影禁止などと馬鹿なことをいうよりずっと利益になるのです。写真をみたって、真似できるはずはないという自信に裏打ちされていることもあるでしょう。このおかみさんに、価値からいって安いのではないですかと言ったら、卓男は人間国宝になったからと言って値段を上げるなと厳命したそうです。幸兵衛窯は株式会社で、きちんとしたビジネスを行っているのであると言っていました。

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このむらさき銹彩は人気のようです。ここの器は東京の高級料理屋さんに受けそうですね。

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むらさき銹彩長方器 「知床」 7代目加藤幸兵衛 1,155,000円

高いように思うかもしれませんが、どこかのお店なりホテルなりで絵画を飾ろうとおもったら100万円ではたいした絵は飾れません。この焼物のほうがインパクトがあると思います。

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むらさき銹彩瓔珞  7代目加藤幸兵衛 525,000円

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むらさき銹彩塔壺  7代目加藤幸兵衛

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淡青釉長方器 7台目 加藤幸兵衛  1,785,000円

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三彩獣頭飾長方器 7代目加藤幸兵衛  1050,000円

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藍彩香炉 7代目加藤幸兵衛 315,000円

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三彩四方器 「瀬音」7代目加藤幸兵衛 1,470,000円

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三彩双耳壺 7代目加藤幸兵衛 47,2500円

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黒織部茶碗 7代目加藤幸兵衛 525,000円

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織部手鉢 7代目 加藤幸兵衛  26,2500円

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六代目加藤卓男さんのラスター彩駱駝人物文高鉢 1,365,000円

ここからはおそらく5代目幸兵衛の作品です。

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萌黄地金欄手葡萄文水指

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織部茶碗 84,000円
7何代目加藤幸兵衛の息子さんでしょうか次代の加藤亮太郎さんの作品。なにか古典に戻ったような作風です。

本館には売店があります。やはり、歴代の名品を見た後で、不思議と何も買う気がしません。というか、今回の旅で焼物を買って帰ると、家内が置くところが無いといって怒るに違いないので、ものすごいブロックが働いているのです。買おうという気持ちで見ないように、あくまで勉強なのだと言い聞かせているのです。

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青釉葡萄文鉢 5客 18,900円

何となく手が出る絶妙な値段設定です。お客様が頻繁に訪ねてくるとか、粋な料理屋さんでこんな器が出てくれば、元が取れておつりが来るでしょう。

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瑠璃釉双耳花入 6800円 特別提供価格と書いてありましたが、これはお買い得ですよ。ちょっと使いにくいかな。 京都の清水焼では6800円は平均的ぐい飲みの値段です。

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幸兵衛窯ともお別れです。ここだけで今回の旅は十分な収穫がありました。

東海道途中下車の旅-2 多治見 その5

東海道途中下車の旅-2 多治見 その5

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幸兵衛窯からすぐのところに市之倉さかずき美術館があります。幸兵衛窯とセットの券があるので、みんなここによります。でもここは撮影禁止で、当方はここでかなり頭にきているのです。かまわず写真を載せます。遠景写真だかいいでしょう。

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ここの売店のお姉さんに聞いたら、ここも撮影禁止、遠景ならいいですと言われて、遠景をとります。ここでさらに頭にきたのです。作品の著作権を守るためだといっています。おれの作品は撮影してもいいという作家が一人くらいいてもいいのではないでしょうか。一見して真似されるような作品にお金を出して買ってもらおうなんて、おこがましい。加藤卓男さんみたいに、もっと勉強して、研究して、とても人のまね出来ない作品を作って、皆に見てもらって、それを見た人が影響をうけて、また違う作品を作ってゆく、これが民芸品、美術品のまっとうな世界でしょう。写真をブログにのせられるようにならなければ、売れませんよ。コンテストに入選するだけが出世の道とは思いません。世界のピアノコンテストで一位になった人がその後伸びたかというと、消えてしまうことも少なくないのです。あの、アシュケナージだって、ショパンコンクールで2位だったのです。コンテストは特定の審査員が評価して、その集計できまるのですから、絶対ではないのです。人の作品を演奏している場合は評価がばらけることはどちらかというと少ないのですが、絵とか陶器は自分の完全なるオリジナルですから、もっとコンクールの評価はあてになりません。一番大事なのは広い一般の方が、作品に接して、いいと思うことでしょう。一般の人もファーストフッドと本当の料理の味も分からない人が大半ですが、わかる人もいるのです。いいものは、いずれは理解されます。広く知らしめることが重要なのです。このネット時代に撮影禁止とは当方には理解できません。自分でネットに出すのは当然ですが、他人が、たとえばこの店で、1人の作家に魅力を感じて、ブログで紹介したとします。これに賛同する人がふえれば、なによりその作家さんの前に進むためのエネルギーになるでしょう。 奄美大島の田中一村だって、コンテストであまりに認められないので、頭にきて奄美大島までいってしまった。彼の作品を知っていますか。当方に大きな影響を与えている日本画家さんです。そのうち紹介しましょう。

さかづき美術館で頭にきて、さらに多治見駅のバスに乗り遅れて次のバスまで一時間ある。ますます頭にきて、しかたなく、市之倉地区の窯を訪ねることになりました。オリベストリートといって点々と窯があります。

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この入口近くの幸輔窯に寄ってみた時に、どうやらここは以前来たことがあると、気が付いたのです。いままで多治見は初めてだとばかり思っていたのですが、以前ここに来ていました。この幸輔窯でトックリとオチョコと湯飲みを買っているのです。全く同じものが飾ってありました。明治時代からの窯で、すっと同じ模様を手書きしているのだと説明を受けたことを覚えています。何年前でしたか、当方は美濃に行ったという記憶はあったのですが、美濃と多治見が同じとは思っていなかったのです。後で家内に聞いたら幸兵衛窯もその時に行ったといいます。当方は殆どおぼえていない。2度目だったと知ったら、ここに来なかったかもしれない、幸兵衛窯に行かなかったかもしれない。忘れていたので、幸兵衛窯をたすねることができたわけで、へんなラッキーです。そうだこの道をあるいて、美濃焼や志野焼を買ったのだ。

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山文陶苑

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どこの窯をのぞいても誰もいないし、閑散とした道を歩きながら、一度来たことがあるし、焼物を買う気もないし、帰ろうかと思いながら、最後にどこか入るところは無いかなとおもっていたら、なんともいえない看板がありました。民宝窯とあります。

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東海道途中下車の旅-2 多治見 その6 (最終回)

東海道途中下車の旅-2 多治見 その6 (最終回)

民宝窯に入りました。

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中に入ると、やっと人に会うことができました。

とんでもなく雑然と焼物がおいてあります。よくみれば面白いのですが、なんともメチャクチャです。おばさんが、窯を案内してくれるといいます。穴窯(土でまるく部屋を作る窯を穴窯というようです)ですが、ピンボケですみません。一年に一回も焚かないそうです。ほとんど趣味だと言っていました。

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穴窯

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となりの陶器の仕事場も動いているのか止まっているのか。 陶器は穴窯でないと焼けないとここでおそわりました。以前はマキ、重油になってガスになって、いまは電気炉。電気炉では本当の陶器は焼けないので、電気窯で使える陶器用土という昔とは違った土で焼くのだそうです。このおばさんとはとても突っ込んだ話をしました。当方も多治見の窯に弟子入りする可能性もあるから、特にこのような、いまにも廃業しそうな窯に御やっかいになるかもしれないので、真剣です。年収どれくらいあるのですかとか。ほとんど、入りと出がカスカスで、いつ廃業してもおかしくない状況のように見受けました。実際にこの地区で廃業する窯も少なくないのだそうです。昔は、ガンガン窯がたかれていたのでしょう。ここではトックリとオチョコの磁器を御店にどかっとおろしてもうけていたのでしょうが、お酒は飲まなくなるは、なかなか磁器がわれなくて、回転がわるくなるは、中国が安いものをどんどんつくるは、100円ショップのせとものがでまわるはで、注文が激減しているのだそうです。もともと多治見は実用品を多量につくる場所でしたから、そういうご時世にシフトして、その時代に適応できない窯がいっぱいあるのです。返品になった小さな焼き物のスプーンをいっぱいもらいました。これももってゆけ、あれももってゆけと親切なおばさんです。これは先代が手で書いた湯飲みです。といって、ごちゃごちゃの売り場から湯飲みを一つとりだして磨いています。そういわれると、とっても魅力的に見えて、1200円のところを1000円にまけろといって、買いました。もっとまけろといったら、奥に行ってお姉さんでしょうか、年上の方にきいたら、これは骨董的価値があるのだから、1000円以下では売れないといわれて、1000円ということになりました。

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ここのワンちゃんは電気窯にしばられて、ワンワンほえますが、シッポが喜んでいます。久しぶりのお客さんがうれしいのでしょう。

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なんとも雑然とした仕事場です。このおばさんのおかげで、とっても多治見の一面を知ることが出来ました。この状況ではここに弟子入りしても、とても当方の面倒を見る余裕はなさそうです。

とうとうオリベストリートを最後まで歩いてしまいました。最後のあたりに、このストリートではたった一軒のしゃれた外見のお店があります。前回来た時にこの店の前を通ったことを思い出しました。仙太郎窯というらしい。

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中もきれいになっています。

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この織部のお皿が2000円というのでびっくり。普段に使うお皿が2000円とは高いと思いますが、手書きの織部で2000円といえば安いですよ。5月に陶芸教室の生徒さん(当方も含めて)で、原宿で展覧会と即売会を開くことになっていますが、自分の作品に3000円の値段をつけようと思っていましたが、これを見て、とってもだめだ、500円にしようと大幅ダウンを考えてしまいました。今、500円のお皿を大量生産しています。期日が近くなったら、ブログに案内を載せましょう。500円でもダメだと思って300円になっているかもしれませんし、1000円になっているかもしれませんが、3000円はとうてい無理だ。

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仙太郎窯は商売が上手なようです。大きくなる窯と衰退してゆく窯のどこにその分かれ道があるのでしょうか。

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東海陶苑のウインドーです。ちゃんと飾れば、十分魅力的になるのに、まあ漫然と出来上がったディスプレイのような気がします。

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オリベストリートの中ほどにある、公共のディスプレイです。ここも漫然と飾られています。平日だからでしょうか、オリベストリートを歩く観光客は当方しかいません。昼飯を食べるところも見当たりません。仕方なく、多治見駅に戻ります。ここからまたバスでセラミックパークへ、10分くらいかな。平日は入口までいってくれるバスがなくて、バス停から坂道をテクテク歩くはめになってしまいました。

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セラミックパークは立派な建物です。

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レストランクレイというフレンチレストランしかありません。一人でフレンチコースを食べることになってしまいました。

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確かに出てくる食器は綺麗です。食事も美味しかった。こんな贅沢なランチを一人で食べるのは初めてです。

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セラミックパークはこれでおしまいです。焼物は全て撮影禁止なので、どうしようもありません。
岐阜県陶磁器試験場の100年展というのをやっていました。人間国宝、加藤土師萌(ハジメ)、加藤孝造を輩出したとあります。岐阜にはこんなに沢山の加藤という人間国宝がいらっしゃったのかとびっくり。今は岐阜県セラミック研究所と名前を変えているそうです。とても魅力的焼物があり、とっても、とっても参考になりました。見終わって、この展覧会のカタログはありますかときいたら、一般の方には販売していませんと言われました。撮影禁止、カタログなし、本屋には焼物の本なし(日本一の陶磁器の生産量をほこる地域の駅前の本屋さんで、多治見の焼物をみるための案内書みたいのがありますかときいたら、ありません)。ホテルには焼物観光のパンフレットなし、いったいどうしろというのですか。東京から勉強に来ているのですよ。展覧会を見るのは、生のインプレッションを得るためにとても重要なのです。見たものの写真と記述がなければ、印象は消えてしまうのです。全く手がかりなし。多治見は情けない。バブルチックなセラミックパークを作っても、まったく焼物を愛する心が伝わってきません。岐阜県陶磁器試験場の展示も昔の作品と現代の作品では大違い。名前がセラミック研究所となって、内容もファーストフッドみたいになってしまった。インクジェットで焼物の印刷をする試み、そんなことはやって当然でしょ。問題は何を描くかでしょう。かっこばっかりだ。完全に頭にきて、日も高いうちに東京に帰ることにしました。
  本当は多治見のタイルを見に来たのですが、どこへいったらよいか手がかりがなく、陶磁器をみることになったのです。タイルと陶磁器とは作っているところが全く違うのです。幸兵衛窯の方にタイルはどこを見たらいいでしょうといったら、タイル展示館があるけど、どんな内容かは知りません。タイルは需要が減って大変でしょうといったら、そんなことないですよ、作るところが淘汰されて、残ったところはとても忙しいようですよと言っていました。なるほど、そうすると多治見の陶磁器も現在淘汰中なのでしょうか。窯が淘汰された暁に、多治見の次の世代が始まるのでしょうか。セラミック研究所から生まれたインクジェットの陶磁器が世の中を席巻するのでしょうか? 多治見さんしっかりやってくださいよ、大津の人が大津絵を知らず、多治見の人が焼物に愛情が無くて、いったいどうするのですか?

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今回の戦利品。民宝窯さんで1000円でかった、手書きの茶碗といただいたウサギさんのスプーンと箸おき(いっぱいもらいました)。民宝窯さんありがとう、どれも愛用してますよ。
プロフィール

山海旅人

Author:山海旅人
山海旅人
<南方から黒潮に乗って流れ着いた人の子孫と思われる>
趣味:おいしい魚をたべておいしいお酒を飲むこと。お魚の料理もいたします。海が近付くと元気になると人にいわれます。

座右の銘:<芸といふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの> 
実写とデフォルメの間に真実があるという意味です。

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