天皇遷都物語 -1-

天皇遷都物語

いよいよ天皇遷都計画の内容と、この考えに至った経緯をかいてみますあかいえんぴつ

ことの発端はまず江戸城再建同盟の発足計画にあります城

大阪、名古屋が天守閣を再建し、熊本城も天守閣を再建したのに、なんで東京が天守閣を再建しないのだ怒
という怒りが基になっています。


定年間じかになると、大企業は親切で、定年後の人生設計についての研修を泊まり込みでやってくれます。
お前はどうするのだという問いかけに江戸城再建同盟を作り、その実現に向けて晩年をすごすといいましたキラキラ(オレンジ)

その時はベンチャーを作るなぞ夢にも考えてもいませんでした汗とか

その後京都で過ごすうちに、公家文化の優美さにおされて、武家文化がかすんでしまい、江戸城再建同盟の意気込みは沈滞しておりました。



ところが、時々みる<篤姫>が江戸城再建同盟を再燃させましためらめら

その1シーンで公家が江戸に行くことをものすごく嫌がることをしりましたコリラックマ

京都にいると、なんだかその方々の気持ちがわかります。がっつ

いまは東京が威張っているけれど、昔は馬鹿にされていたのですビックリ

そんなにいやなら、公家さんに京都に戻ってもらおうと思い始めました。

天皇遷都計画の設計図を描く為に、調べてゆくと、いろいろなことがわかってきました。



① 江戸城再建を推進する会はすでに平成16年にできており、ネットでも会員を募集しています。
言い始めたのは当方のほうが早いのですが、この会は1000人以上の会員を有する、立派な方が発起人になっているしっかりした会のようです。

② 天皇は明治維新の時に京都から東京に遷都していなかったそうです。
東京は仮住まいで、名目上、天皇は京都から東京へ移ってはいないのです。いまではうやむやになって、京都の人もすっかりわすれているようです。

③ 東京の皇居を中心とする一帯は一見、静かなさざ波もたたぬ情景のようですが、実は、種々の、巨大な圧力、思惑がひしめき合う均衡のなかの静けさであることがわかってきました。

江戸城再建も天皇遷都もとうてい一筋縄では行きません。
ともあれ、皇居を一周してみましたみずたまこ

そこで何を感じたかを書いてみます。

出発点は大手門ですグー



ブログランキングに参加しています。歴史に興味のある方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス
スポンサーサイト

天皇遷都物語 -2-

天皇遷都説-縦
すでに、東京タワーをバックに都会の喧噪からはなれた風景が展開されます。

大手門を入ったところには、かつて二の丸、三の丸がありました。二の丸の庭園が残っています。

天皇遷都説-横

天皇遷都説-横 (1)

庭園の奥の築山から逆に見下ろすと、まるで深山の庭園のように見えます。これが東京のど真ん中です。
本丸の跡は広い芝生になり、人々の憩いの場となっています(皇居東御苑)。
この広い敷地全体を本丸が覆っていたのです。いかに江戸城は巨大であったか。


ブログランキングに参加しています。歴史に興味のある方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語 -3-

ここからは北の丸跡で、現在は北の丸公園として、このあたりでは珍しく平和な雰囲気で、皆が楽しむ公園になっています。

天皇遷都説-横 (4)


この公園は桜で有名な外堀、千鳥が淵の内側にあたります。千鳥が淵にそって、ひっそりとした小道があり、一人物思いにふける人や、孤独を楽しむ人のひそかな場所になっています。桜の季節は桜の渦となるでしょう。
天皇遷都説-横 (5)

天皇遷都説-横 (6)

外堀とその上を走る高速道路を越して、北から南を見渡すと、本日の目的、皇居がうっそうとした森に包まれて見えてきます。


ブログランキングに参加しています。歴史に興味のある方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語 -4-

天皇遷都説-縦 (2)
<家内は靖国神社の清掃活動のボランティアをしています。
相当右寄りの思想の持ち主であるためで、肉親が祭られているという関係はまったくありません。
当方は右でも左でもありません。それらを通り越した自然派です。>


靖国神社はひっそりとした皇居の御苑に比べてなぜか異様な活気があります。
ゼロ戦が展示してある、遊就館、唯一人、極東裁判の不当性を主張したインドのパール判事の肖像など、いろいろな思いがうずまいています。

帰り際に、参道の屋台で飲んだ、東京、東村山の地酒、金婚の原酒がびっくりするほどうまかったので付け加えておきます。 
靖国神社のすぐ隣の、無名戦没者の慰霊公園はいつもひっそりとしており、まつられている人々を思って、思って、涙すらでてきます。

やりたくもない戦争にかりだされて、こき使われて、あげくのはて戦死し、しかも誰の骨だかわからぬ状態で葬られている。
訪ねる人もまばら。ピンからキリの人生ではありますが、仕方ないということもできますが、あまりに悲しいではないですか。
(こういうと、当人は怒るかもしれません。日本の為にほこりをもって戦ったのだ。悲しいことはない!と。すみません、私は純粋に人の戦いは悲しいといっているのです。)


さて、千鳥が淵をあるいて、ここは来年3月までに遊歩道が整備され、さくらの季節には大さわぎとなるでしょう。
ここまでは皇居の威圧が及ばぬらしく、庶民の元気があふれています。
外堀に沿って歩きます。


ブログランキングに参加しています。歴史に興味のある方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語 -5-

天皇遷都説-横 (12)

いよいよ皇居一周も終りに近づいてきました。皆さんの写真撮影スポット二重橋で終点です。

天皇遷都説-横 (13)
いままで、後ろ向きで登場してきた家内に前向きで登場してもらいます。

天皇遷都説-縦 (4)
正月には皇居の正門である二重橋を渡って、さらに伏見橋を渡って、一般参賀の広場へ出るのです。通常はまったく入ることができません。

ブログランキングに参加しています。歴史に興味のある方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語 -6-

天皇遷都説-横 (14)

広大な皇居外苑を通って、再び都会の中に戻ってきました。
この旅は、これまで頭で考えていた、江戸城再建、天皇遷都の考えを、ばらばらに崩壊する力がありました。

そこで、気を取り直して、もう一度、考え直してみようではありませんか。

仮に、江戸城天守閣と江戸城の一部を再建したとします(まず全体を再建するのは不可能ですし、そこまでは必要ないでしょう)。
強大な皇居と江戸城と大都会の三つ巴が生じます。

この前2者はどうしても合いません。公家文明と武家文明は違うのです。
皇居の敷地内に武家文明を再建することは全く違和感があります。
公家文明か武家文明かどちらかにしましょう。


天皇遷都説-横 (15)
<江戸城天守閣:江戸城Wikipediaより>

武家文明に統一した場合の江戸城地域の再建計画をイメージしてみます。
解放された皇居にまず天守閣を再建します。

周囲の江戸城も再興して、内部と地下は大きな国際会議場、国際ビジネス交流センターとします。
この考えは、バイオ視察旅行というやつに、当方が参加する機会を会社からもらった時、南フランスのアビニオンで開催されていたバイオの会議に出席した経験から生まれたのです。

<アビニオンの橋で輪になって踊ろよ-------->という皆さんの知っている歌のアビニオンです。
端から端まで10分くらいで歩ける城壁に囲まれた小さな町の真ん中に大きな石のお城がどんとあります。
ローマ法王がいたこともある由緒あるお城です。
この城の内部は冷暖房完備の会議場になっています。ここで、バイオの国際会議がひらかれました。


ブログランキングに参加しています。歴史に興味のある方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語 -7-

天皇遷都説-横 (17)
<有楽町、東京国際フォーラム:Wikipediaより>

天皇遷都説-横 (18)
<ビッグサイト東京国際展示場:Wikipediaより>

恵比寿ガーデンプレース、六本木ヒルズ、六本木ミッドタウン、汐留シオサイト、表参道ヒルズ--――と東京では次々に再開発ショッピングモールができています。

東京のエネルギーの表れとして、結構なことですが、要するに発想はアメリカのショッピングモールのまったくのコピーです。 
この手のショッピングモールが横並びに増殖して、日本がアメリカと区別なくなることは、うれしくありません。 
子供(西洋と日本の区別がつかない人)と爺さん(なんでも西洋がいいと思っている、戦前の方々)が大喜びするのはいいですが、若ものがこれで満足してはいけません。

悪く言えば、これらのモールは伝統に根差すわけでもなく、最先端を開拓するでもなく、ただのまねにすぎない。
日本には誇るべき歴史があるのです。
日本人は日本の<臍>として、東京のど真ん中に、日本文化の心をうちたてるのです。

<臍>は大きくなくてはいけません。奈良の大仏やデズニーランドのように大きさは必須です。
大きな<臍>は周囲の文化を変化させる力があります。
東京の文化が変化すれば、日本全体の文化を変化させることができます。


まずは中心部に<臍>をうちたてる。
現代の建築家が出てきて、へたにいじくらない方がいい、昔の建物をそのまま再現する。
あとは内部(一部は昔のままを残します)と地下に近代的施設を構築するのです。
建築家はその両立に知恵を使ってください。

この<城、臍>説は熊本に行ったときに思いつきました。
熊本城跡の勇ゆうたる城壁が町全体の<臍>になっていると感じました。
その<臍>を中心に日本文化が息づいています。住んでいる皆さんが、城を心の軸としながら、普段の生活をしている風景がとても魅力的でした。

ブログランキングに参加しています。歴史に興味のある方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語 -8-

天皇遷都物語に戻ります。

天皇遷都説-横 (24)


さて、
場面は京都御所の風景に変わります。

京都に来て、東京ではわからない京都の歴史を知ることができます。�ɂ���

京都文化会館の特別展示会はいつも拝見しています。

いままでに最も印象に残っているのは、かつて、京都の繁栄時代には京都の四条河原町を中心に様々な工芸品、芸術品、織物などの店がずっと並んでいたということです。�������`�����`
全国から、品物を求めて人が集まり、同じ商品でも、京都の産は他の場所の産より高値で取引されていたそうです。

京都ブランドとして全国に君臨していたのです。

御所には朝10時から、ぞくぞくと人が集まり、祭りごとを行って、午後3時には帰って行った。活気ある政治の中心だったのです。

いまでも伝統的、工芸品や織物が脈々と続いてはいますが、苦しい存続の戦いの中にいます。御所は春と秋に一般公開されるのみで、それ以外はひっそりとしています。 ��

京都御所はその周辺の御苑全体で63万平方メートル、御所の敷地は20万平方メートルに対して、皇居といわれる地域は115万平方メートルです。平城宮跡全体が120万平方メートルとするとほぼ同じ広さです。御所以外に二条城(20万平方メートル)が御所別邸であったことや、

天皇遷都説-横 (22)
<二条城>

現在の京都御所は本来の御所(現在の御所の約2倍の広さがあった)を火災で失ったときの小さめの仮御殿がそのまま存続してしまったということを考えると、いずれも天皇の住まいとその関連施設は100万平方メートル程度が適当であったと考えられます。������


ブログランキングに参加しています。歴史に興味のある方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語-9-


江戸城跡というと、皇居の2倍の230万平方メートルで、さらに広大な敷地をしめていたようです。江戸城はけたはずれの規模で、天皇が東京から現在の京都御所・御苑に遷都すると、感覚的にはずいぶんと小ぶりになったという印象をまぬがれません。

一方で平城京の広さが驚きです。平城宮一体には川がなく、水を引いていた。Tear Perspiration
100年も経つと、上水、下水のシステムが十分でない平城京は不衛生となり、しょうがなくて遷都したという説があります。

京都も今みたいなきれいな風景であった時代ばかりではない、賀茂川が死体で埋まっていた時代もあるそうですが、環境的には平城京よりずっといいのでしょう。�R�Ƌ�

  飛鳥にはじまった天皇のいらっしゃる都の遷都の歴史は関西の方はよく知っていますが、関東の人は知らない方も多いのではないでしょうか。
平城京が50年程度2回都であったのに対して、平安京は1000年以上つづいているのです。�т����

現在も御所には天皇がいらっしゃることになっています。
東京は出張先で、京都御所が実家なのです。


京都は住んでみて、とても住みやすいところに思えます。自然と人が融合するに都合のよい条件が整っているのです。
遷都の理由はいろいろありますが、結局のところ、公家さんは京都がとても気に入ったので、1000年以上も都としたのでしょう。�ɂ��Q

天皇遷都説-横 (23)

天皇遷都説-縦 (6)

天皇遷都説-横 (24)
<御所南側、正門:建礼門>


ブログランキングに参加しています。遷都の歴史に興味が湧いた方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

まだまだ写真が載っています。続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語-10-

京都御所の風景写真の続きです。


天皇遷都説-横 (30)

天皇遷都説-横 (31)

天皇遷都説-横 (32)



ブログランキングに参加しています。遷都の歴史に興味が湧いた方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

まだまだ写真が載っています。続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語-11-


天皇遷都説-横 (37)

天皇遷都説-横 (38)

天皇遷都説-横 (39)
<よき、自然の、四季の移ろいを愛でる>

現代は、皆がそれを愛でることができるはずです。
いや、そのような世界にしなくては。
貴族社会といって否定してはいけません。
よきものは何であるかを教えてくれることに素直に感謝しましょう。
よきものがなければ、よきものを愛するこころがなければ、人は救われません。

昨日(2月1日)、京都国立博物館で開催されている<京都御所ゆかりの至宝展>に行きました。

感想は
①やはりたいしたものだ、全てとはいわないが、先入観なしにすばらしいと感じる品々が満載です。k-4

②この展示の多くは、御所が改装される時に、建物、襖絵などがお寺に与えられ、また調度品が個人に与えられ、それが引き継がれて、そこに素晴らしいものが残っていたのです。仁和寺がダントツに御所の建物や絵を引き継いでいます。南禅寺や東福寺もそれに次ぎます。これらの寺にある、違和感のある贅沢な品々は、そうだったのだ、御所から来たのだ。やっと違和感の原因がわかりました。




ブログランキングに参加しています。遷都の歴史に興味が湧いた方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

まだまだ続きが載っています。続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語-12-


天皇遷都説-横 (42)
<建春門>

天皇遷都説-横 (43)
<建春門の扉の拡大写真>

天皇遷都説-横 (44)
<実は、当方、扉のパターンに目が無いので、御所の扉の写真を撮りまくる。そのうち扉の特集をやるつもり>


ブログランキングに参加しています。京都御所に興味が湧いた方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

まだまだ写真が続きます。続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語-13-

天皇遷都説-縦 (9)
天皇遷都説-縦 (10)

天皇遷都説-横 (52)
<家内はいろいろな衣装をきて記念撮影するのか趣味で、十二単衣をきた写真を年賀状にして配って悦に入っている>���ꒅ

奥様十二単
<ちなみに、こんなぐあいです。自分もやってみたい方は、三条京阪駅を降りて、東山方面へちょっと行ったビルの2階、時代屋です。>

私には東京の皇居は天皇にとって住みにくい所のように見えてなりません。
京都、実家にもどられればほっとするのではないでしょうか。��

しかし、京都の方に聞いてみると、多くの方がいまさら天皇に戻ってきてほしいとは思はないとおっしゃいます。庶民のいこいの場所となっている御苑に自由に入れなくなるのはいやだとおしゃいます。

その気持ちはよくわかります。それに現在の御所にもどるとなると、御所を大改造しなければなりません。歴史的遺産の保護と実質的天皇の活動の場を作るということと矛盾してしまいます。

私は、天皇は奈良にもどるのがいいと思っています。����̏�i �3߁j�m��SbWebs��

その心は 
1、奈良は天皇の発祥の地であり、奈良を都とすることに歴史的に反対する人はいないでしょう。

2、奈良には広い土地がいっぱいあります。

3、奈良は文化遺産があれほどありながら、観光地として十分機能していない、もっと観光資源で収益をあげることができるはずです。日本人にたいしても世界中の人にたいしても、もっと観光機能を充実させて京都と奈良で世界中の人を集めることができるはずです。

天皇に一役かってもらいたい。奈良に遷都するとしたら、莫大な費用がかかります。新幹線も奈良まで延長する必要があります。�V����
この費用を観光都市として回収することができるでしょう。



ブログランキングに参加しています。遷都の歴史に興味が湧いた方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語-14-

京都の人で、京都は東京の妾になりさがった、奈良にはそうなってほしくないという方がいました。��

日本の中心として栄えた京都が、過去の栄光を武器に媚を売って単なる観光都市として生き延びていることにいたたまれないという意味でしょう。
わからないでもありません。���[��
奈良までそうなってほしくない、いまのままでぼんやりやっている方がいいといっているわけです。

しかし、それは日本文化の力を信じていない人の言と思います。天皇、京都、奈良は心を一にして、日本文化の再興を推進するのです。
政治の中心は東京であっても、日本文化の中心は奈良・京都の連合体にあるのです。
新幹線を京都・奈良・伊勢まで走らせて、京都・奈良・伊勢の連合体を形成してもいいです。���C���V����
もちろんそれを中心に日本文化圏を広げるのです。
昔はよかったとひがんでいる場合じゃありません。���[��

米国→東京→日本全土という米国追従の日本が日本人を破壊していると思いませんか。�A�����J
日本人は自ら考えなくなって、米国を見て、事をおこなっています。政治も経済も文化も、です。
たとえば卑近な例で、日本のベンチャー企業は米国に比べて10年おくれていると皆いいます。
日本のベンチャー企業がどうあるべきかという議論でなく、米国のベンチャー企業がベストでそれに対して遅れているというのです。
なにも考えていない。�{��

現在の大企業は昔みなベンチャー企業であった、それが成功しているのです。
なにが米国のベンチャー企業に10年おくれていると言うのですか。
米国のベンチャー企業を参考にすることは結構ですが、それが絶対であり、目標であると決めつけて、物を考えなくなるのは、情けない。
(日本ベンチャーがどうあるべきかの議論は場所を変えて、後日、おおいにやりましょう。)


ブログランキングに参加しています。クリックして、応援お願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語-15-

米国→東京→日本全土という米国追従の日本が日本人を破壊している一例を述べます。

なぜ、日本の農業が衰退してゆくのか、地方の経済が衰退してゆくのか。
その答えの大部分は農業や地方が若者を引き付けないからでしょう。��

こんな経験があります。
出雲で学会があって、出雲にいったとき、出雲大社やおびただしい古墳が存在する歴史遺産の宝庫でありながら、あまりにも閑散とした出雲に驚きました。����

出雲の隣駅の西出雲に行った家内が唖然としていました。
町に歩いているヒトが誰もいない。
いつまであるいてもだれにも出会わない。
ゴーストタウンのようなのです。��

博物館にいったら、ご用のかたは、裏の家の呼び鈴をならしてくださいと書いてある。
こんなにすばらしい文化遺産を持ちながら、なんでゴーストタウンなのですか? 
なぜ出雲大社を世界遺産に持ちあげないで、石見銀山が先に世界遺産となるのですか? 
出雲の人は、出雲大社は日本の数ある神社の中でも別格だ、京都も伊勢も足元にも及ばない。
皆、そう思っています。

天皇遷都説-横 (53)
<出雲大社>

天皇遷都説-横 (54)


ブログランキングに参加しています。共感して頂いた方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

まだまだ続きます。続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語-16-

もう一つ疑問があります。������B
この文を書いているうちに、軍国主義を好戦的武家文明の延長と考えると、武家文明にたいして疑問が湧いてきました。

武家文明は現代日本人にとって、心のふるさとのようになっています。��
新幹線の駅の本屋では、武家文明に関する本がずらっとならんでいます。
新幹線で飛び回る企業戦士は武家文明の武士に自分を置き換えて、これら本を列車の中で読む本として選ぶのでしょうか。

当方は南から流れてきたので、なぜか、武家文明より、沖縄の文明に共感します。���l
再建された首里城の前広場は広大で、いつもそこで祭りがおこなわれていたそうです。
強大な中国の圧力をかわすために、中国からの使者が来ると、国をあげて歓迎の宴を開き、中国への使者を送る時も、壮行会を盛大に開く。
常にフレンドリーに外圧に対応することによって、大陸との争いを回避し、同時に自分たちの価値を、独自性を世界に発信していたのです。

天皇遷都説-横 (57)
<沖縄、首里城>

これは一つの日本の生き方ではないでしょうか。
琉球王国を滅ぼしたのは、強大な大陸ではなく、日本が滅ぼしたのです。
背中から撃たれたということです。

武家文明になって、武士という違和感のある考えが日本全土をおおってしまいました。
本当に<さむらい>は日本の心なのでしょうか?
そのルーツは朝鮮にあるように思えてならないのです。

武士の原点は、百済難民の騎馬文明が傭兵として全国にちらばり、土着の民族と融合して武士が生まれた、ルーツは朝鮮のDNAであるという気がします。
無論、日本流に進化(?)して、武士、切腹文明となり、原点から進化(?)していますが、その思想は朝鮮の武士と極めて似ています。



ブログランキングに参加しています。武家文明に興味の湧いた方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語-17-

皇室とは神と人間を媒体する存在として、一般庶民にあがめられるとすると、戦いは必要ないわけで、違う神をもつ異民族を征伐するときに戦いが必要なだけでしょう。

それが武士の世界で、なんであんなに急激に殺し合いの世界になったのでしょうか。
どうしてもDNAのつながりが不自然です。���[��c
武士の好戦的連中のDNA診断をすると、朝鮮人を起源とすることが証明できるのではないでしょうか。(朝鮮まで攻めていった秀吉なぞ、絶対に朝鮮DNAの持ち主です)。 
だれかDNA解析をやってみてください。

ここまで書いて、おまえは何もわかっていないという声が聞こえてきます。
少し勉強してみました。�{

古代日本史の教科書を読んでみると、日本でも戦いの話ばかりです。
人間は本当に殺し合いが好きですね。

そういえば、テレビで韓国ドラマの朱蒙(ちゅもん)を見ましたか? 
かなり長い期間放映されていました。
家内と2人で毎週楽しみにして、次はどうなると予想して、みごとに裏切られるとか、見事当たるとか、このドラマが終わった時は、楽しい番組がなくなって<あーあ、終わっちゃった、楽しみがなくなってしまった>という感じでした。�ɂ����

この前、天皇のルーツをかいた本を読んでいたら、この朱蒙が日本の天皇のルーツであるという説が書いてあったので、本当にビックリでした。�r�b�N��

天皇遷都説-横 (58)
<朱蒙ホームページからのコピー>

この説によると、この左右の二人の子孫(実は、朱蒙の実子ではありません)が日本の天皇だそうです。朱蒙は漢の圧力を駆逐して、朝鮮半島に高句麗を建国した実在の韓国創始者です。



ブログランキングに参加しています。興味を持って頂けた方はクリックをお願いしますポッ・・・
 PFマウス

まだまだ続きます。続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語-18-

ソソノの2人の子供のうち、兄が目支を、弟が百済をつくります。
まず兄の目支が日本に侵入し、ここから、韓国と日本の融合がおきる。これは相当の融合があったようです。�A�C�R�������͂��Ă������� ��{�H

目支一派が日本天皇のルーツか否か、当方にはわかりません。
紀元元年前後の話ですから、長い間に亘って、朝鮮と日本の融合が起こった、それもかなり支配者階級上層の間での融合が起きたと考えてもおかしくありません。

朱蒙が、漢の鋼鉄武器に対抗する鋼鉄技術をあみだすことに大変な苦労をした話が出てきます。
この綱鉄技術をもっていれば、日本では支配者階級として行動したに違いないわけです。
朝鮮民族は鋼鉄以外も中国の文化の流れを持っているわけで、その高度な文化を持って支配者階級に侵入、融合していったことは間違いない。
それが完全な支配というかたちか、融合という形か、おそらくその両方が交互に起きたのでしょう。

その後百済が大きくなり、南東側の新羅や北方の高句麗との対立が激しくなったり、中国内戦で中国流民が朝鮮に流れこんだりします。
日本の天皇家は目支一族が中心ですが、もともと兄弟であった百済と政権争いや融合が絶え間なくおこります。
特に百済は日本の援助にもかかわらず、結局滅ばされて日本がその血筋を継続することになります。 

朝鮮半島を足場として、目支、百済、高句麗、新羅、中国の民族が日本に侵入し、朝鮮と日本、日本国内で複雑な覇権争いを繰り返したと思われます。
天皇遷都説-横 (60)
<この左はしのソソノの息子(兄)が作った国、目支の一族がその後、日本に侵入します。またオンジョ(弟)は百済を作り、一時大きくなりますが、結局滅ぼされ日本に逃れてくることになります。 写真は朱蒙ホームページからのコピー>

天皇遷都説-横 (61)
<朱蒙の最終回、ソソノと息子たち(オンジョは左)が南に旅立つところで終わります。その後の展開の本当のところが知りたいですね。 しかし紀元前にこんな綺麗な着物があったのでしょうか!!??写真は朱蒙ホームページからのコピー>


ブログランキングに参加しています。朱蒙を見たくなった方はクリックして投票をお願いしますポッ・・・
 PFマウス

まだまだ続きます。続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語-19-

なんで、当方の話には朝鮮がいつも登場するのか、自分でも不思議ですが、日本文化を追いかけて京都までくると、必然的に朝鮮を語らずに済まなくなります。
日本は朝鮮より先をいっていると思っているかもしれませんが、朝鮮という木の幹なのですね。
東京→京都→朝鮮→中国というルーツをたどる流れが自然に発生します。
この追及の流れはどうしても止めることができません。
仏像もそうです、後で述べる庭もそうです。

天皇遷都説-縦 (11)
<京都、広隆寺、弥勒菩薩半跏思惟像、木造、飛鳥時代:国宝第一号で日本産と思って、ここに掲載したら、朝鮮からの輸入仏像という説が有力とかいてありました。奈良、中宮寺の半跏思惟像もどこ産なのでしょうか?もうわからん。>

天皇遷都説-縦 (12)
<奈良、中宮寺の半跏思惟像>



ブログランキングに参加しています。日本のルーツが気になった方はクリックして投票をお願いしますポッ・・・
 PFマウス

まだまだ続きます。続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語-20-

さて、この論争はわすれて、話しをすすめましょう。

ルーツはどうであれ、日本は独自の誇るべき文化を持った国です。
日本は自然とともに生きる国です。�ӂ���
日本人がその認識が低いことが問題なだけです。
胸をはって日本文化を再興しましょう。
これを原点に政治も経済も組立治しましょう。
それには強烈な日本文化の中心が必要なのです。
武家文明を通り越して、公家文明から出発しましょう。jumee��mark6e

そのためには、天皇に日本文化の再興を託したい。
天皇は今まで以上に政治から離れ、日本文化の再興を職務として、日本の基盤を担うのです。
現在の公務はほんの一握りの最重要事項だけにして、古来の行事に専念し、それをオープンに行うのです。
どの行事を行うのかという選定は当方には難しすぎますが、たとえば京都の葵祭りなど天皇が参加して、昔通りに、天皇が上賀茂神社に参拝する行事としてもいいのではないでしょうか。

天皇遷都説-横 (62)
<葵祭り:葵祭りの一向は御所を出て、我々のラボの前の道、河原町通りをぞろぞろと行きます>

天皇遷都説-横 (63)
<歩く人は大変>



ブログランキングに参加しています。日本文化の再興に共感して頂いた方はクリックして投票をお願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語-21-


天皇遷都説-横 (64)
<下鴨神社を通って、さらに賀茂川の左岸の参道を通って>

天皇遷都説-横 (65)
<上賀茂神社前で乗り物をおりて>

天皇遷都説-横 (66)
<一向は上賀茂神社のとりいの中に消えてゆきます。なにやら神事がおこなわれています。一般の人はシャットアウト>

現在では天皇が宗教やそのような行事に参加することは禁止されているようですが。
そんなこといっている場合じゃないでしょ。日本を救わねばならないのです。

公家文明イコール日本文化として話を進めていることに反感を持つ方もいらっしゃるでしょう。公家文明こそ外来文明で日本ではないという説を唱える方がいることは上述しました。そういう議論は歴史学者の机上に任せて、どうやったら、日本が活力ある楽しい世の中になるのか、実質的な議論をしましょう。

公家文明は日本文化を分かりやすく形にしたものととらえて、現在は公家文明イコール日本文明として進んでもいいのではないですか。
それに触発されて、各地の日本文明が表に現れて、その総和が真なる日本文明となるでしょう。



ブログランキングに参加しています。葵祭に行ってみたくなった方はクリックして投票をお願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語-22-

天皇遷都説-横 (67)
天皇遷都説-横 (68)

天皇や朝鮮の話はタブー領域に侵入していることはわかっています。
当方の興味はあくまで日本文化であります。
<日本文化の領域>で話をしています。
天皇や朝鮮の話としてお気さわりの方はどうかご容赦ください。�؂���


いよいよ、話は奈良文明の時代に入ってきました。
奈良の都を実感する為に、平城宮跡に行ってみました。

平城宮跡は、三条から京阪�d��にのって、西大寺でおりて、10分くらい歩いたところにあります。奈良からバスで来るかたも多いようです。�o�X
西大寺から平城京跡にアクセスすると一番近いところに資料館があります。
ここによらなければ、だだっ広い原っぱの平城京跡はなんだかさっぱりわかりません。

平城京跡の資料館は面白くて、展示されているビデオが20近くあったのをみんな見て、館内の資料の写真を撮りまくって、2時間くらいいました。
外はほんとうに原っぱです。������
どれだけ千数百年前の世界にイマジネーションをふくらませることができるか。

天皇遷都説-横 (69)



ブログランキングに参加しています。日本のルーツが気になった方はクリックして投票をお願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語-23-


天皇遷都説-横 (70)
<彼岸花を越して、東院庭園の建部門を見る>


天皇遷都説-横 (71)
<第一次朝堂院跡を越して朱雀門を見る>

天皇遷都説-横 (72)
<東院庭園、遣唐使の情報により、唐の最新鋭の庭を模して造られたようです。当時は超しゃれた、輸入文明だったのでしょう。平等院や御所の池の玉砂利ととても近い印象を受けます。このあとの中国の庭と日本の庭が別々に進化して、現在はとても違う感じになりました。原点は同じでも、国によって違った風景となってゆくことに人々の歴史の面白さを感じます。>




ブログランキングに参加しています。日本のルーツが気になった方はクリックして投票をお願いしますポッ・・・
 PFマウス

まだ写真があります。続きをご覧になりたい方は、下行「...read the rest」をクリックしてくださいマウス(左クリック)

天皇遷都物語-24-


天皇遷都説-横 (75)
<朱雀門。平城宮の正門。昔の門を忠実に再現しました。驚くほどの、多くの努力と資金が投入されています。しかし、広大な平城宮跡にポツンと建つ朱雀門はさびしげに見えます。>

天皇遷都説-横 (76)
<第二次大極殿の跡。家族連れがフリスビーを投げたりして遊んでいます。��� ����2

天皇遷都説-横 (77)
<内裏:天皇の住まいの跡。柱の跡にツゲの木が植わっています。ツゲを植えるという発想は大変面白い。だけどなんとなくさびしいです。>

天皇遷都説-横 (78)
<発掘作業中の写真。調査のあと、皆埋めもどされ、現在の原っぱになっています。>


ブログランキングに参加しています。日本のルーツが気になった方はクリックして投票をお願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語-25-


天皇遷都説-横 (79)
<平城京の時代は遣唐使など大陸との行来が盛んでした。barca 舶来文化がもてはやされたことは、今も昔も変わらないようです。しかし、この図をみると、現在、朝鮮観光客が横暴だといって締め出すだの、観光客が減るからこまるだのと言ってもめている対馬は、この時代、朝鮮と日本の交流ルートの真っただ中にあったのですね。ルーツは同じDNAをもっているのに、隣同士で感情的いがみあいが発生するのは、これまた、今も昔も変わらないものですね。���[��c

天皇遷都説-横 (80)
<この時代、すでに全国からその特産品が平城京に貢物として集められました。天皇はすごい力を持っていたのです。この貢物が天皇の財力を支えていました。貴族達は昔からうまいものを食べていたと見えます。�A�b�v���[�h�t�@�C��

天皇遷都説-横 (82)
<現在の発掘現場。ちょうど、発掘現場を見せる催しが行われていました。たくさんの人が集まっていました。史跡にロマンを感じる人がこんなに多いのですね。�E�L���L��
天皇遷都説-横 (83)
<朱雀門と第一朝堂院?の模型。この広場でいろいろな祭りごとが行われたのでしょう。>



ブログランキングに参加しています。日本のルーツが気になった方はクリックして投票をお願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語-26-


天皇遷都説-横 (83)
<内裏:天皇の住家?の模型>

天皇遷都説-横 (84)
<つい最近発掘されたもの。遺跡好きのおじさん、おばさんが我先にと、争って、発掘現場のテントに押し掛け、展示された発掘品の写真を撮っていました。静かな光景に、似合わない血走った雰囲気に驚かされました。おじさん、おばさんは怖いです。���с[��

天皇遷都説-横 (85)
<第一次大極殿の復元作業が行われています。少しずつ平城宮跡が復元されてゆくようです。大変な努力です。国家事業としてやっているようですが、そのわりには、地域としての奈良観光が進展しないのは何故でしょう。>

平城宮は国がしっかり守っていると思っていましたが、何度も外圧(たとえば工場誘地計画、道路計画とか>によって破壊の危機にひんして、一般の方々の結束によってそれを切りぬけて現在があることを知りました。
現在でも種々の危機が迫っているそうです。信じられない話です。���傦�[�I

天皇が平城京跡に遷都することは可能であると思いますが、これだけの文化遺産の上にあえて平成の宮殿を立てることもないでしょう。まだまだ、遺跡の開拓をしなければなりません。

天皇遷都は奈良の別の場所を探すしかないと思いました。


ブログランキングに参加しています。遷都に興味が湧いた方はクリックして投票をお願いしますポッ・・・
 PFマウス

天皇遷都物語-27-


さて、皆さんはどう思いますか。
天皇などつぶしてしまえという方も、文化こそ人間の敵だという方もいらっしゃる事を知っています。
これはマイナーにしても、日本文化にまったく興味ない方は、現代のメジャーでしょう。

そうでありながら、いつのまにか、マクドナルドを日本風ファーストフードチェーン店が取り囲んでいます(若者はどちらも日本と思っているのでしょうが)。
京都はいつも賑わい、着物すがたの若者が楽しそうに歩いています。���ꒅ
上賀茂神社は結婚式でいっぱいです。

この前いった六本木ミッドタウンの先端センスを売り物にする数あるお店の中で、最も人が集まっていたのは、日本民芸品のお店でした。
意識しなくても<日本>は生き続けているのです。
こんな平和な日本を変える必要はないという方もいるでしょうが、骨のある若者と骨のある地方をつくってゆかないと、平和などといっていられない時代があっという間に来ますよ。
また、あの無縁戦没者墓地をふやすわけにはいきません。

ここで天皇遷都計画のお話を一時、中断します。
さらに調べて、考えて、そのうち、また書きましょう。����҂�

奈良のどこに遷都したらいいか具体的計画、江戸城再建の全体計画、日本文化の普及計画、自然に立脚しながら、世界にたいして競争力のある日本社会とはどういうものか。 
特に、<日本文化の普及計画>は当方の最重要課題です。
現在のビジネスで資金を蓄えて、日本文化を普及するための次なるビジネスを起こすことが目標です。�撣�邼�B���[��B
この話をそのうちやらなければ。

なお、この物語をかいているうちに、米国の金融危機が始まって、米国依存への反省や農業への回帰がしきりと言われるようになりました。 
これで本当に日本は日本独自の姿を求めるようになるのか? 
危機がすぎ、米国が力をとりもどすと、日本はけろっと、米国依存に戻るのか?


ブログランキングに参加しています。遷都に興味が湧いた方はクリックして投票をお願いしますポッ・・・
 PFマウス
プロフィール

山海旅人

Author:山海旅人
山海旅人
<南方から黒潮に乗って流れ着いた人の子孫と思われる>
趣味:おいしい魚をたべておいしいお酒を飲むこと。お魚の料理もいたします。海が近付くと元気になると人にいわれます。

座右の銘:<芸といふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの> 
実写とデフォルメの間に真実があるという意味です。

最新記事
リンク
このブログをリンクに追加する
最新コメント
訪問ありがとうございます。
過去の記事(カテゴリ別)
過去の記事(月別)
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ただいまの時刻は??
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
最新トラックバック