アート考察 その1 2017-2-4 マリメッコ展

アート考察 その1 2017-2-4 マリメッコ展

当方の両眼が飛蚊症に陥って写真撮影で目に負担をかけないために写真撮影/自然教育園ウオーキングから、美術館巡りウオーキングに転向しました。 その後、眼科にいったところ、以前の右目はガラス体が剥離した時少々の出血があったので、視野が一時的に失われたので、血が吸収されれば視野は戻る。問題は網膜がしっかりしているかである。今回の左目も以前の右目も網膜は大丈夫、ガラス体が基底部から外れてブラブラしているから、傷口がゴミのようにブラブラ見えるのだ。飛蚊症は50歳以降だれでもなる、病気と思うな、治療法は無いから薬は出さない。UVカットサングラスは意味ない、ビタミンB12もブルーベリーもルテインも意味ない。すべて意味ない。ということでした。

しかるにガラス体は死ぬまでブラブラ、両目の蚊は飛びっぱなしということになります。
ただ、写真撮影で酷使していた右目は以前の1.2から0.7にがた落ちになっていたことはすておけない。

今後いろいろな展覧会に関して書きますが、行った順番はまったくの順不同で、気ままに書きます。これから書くことは、展覧会の紹介でも批評でもありません。自分のやるべき方向の模索過程の独り言です。

2017-2-4 (土) マリメッコ展
渋谷のBunkamuraでやっているmarimekko展に行きました。Bunkamuraということで、いやな予感がしましたが、やっぱり切符売り場は若い方で長蛇の列でした。マリメッコはフィンランド/ヘルシンキのファブリック、ドレス、インテリアのデザイン・カンパニーです。

さて、100点以上のデザイン展示のなかで、もっとも印象的であったのは下のデザインです。

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マイヤ・イソラ デザイン1959

ただの白地に黒丸、その周囲がわずかに角ばっている。この角ばりがとっても意味があると思うのです。

さて、本題に入る前に、当方の常に持っている論点である、<自然との対立か、融合か> <西洋文明と日本文明>について述べます。これがマリメッコの理解にはとても重要なのです。

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バルセロナ/スペイン カサ バトリョ/アントニ・ガウディ

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バルセロナ/スペイン     アントニ・ガウディ

スペインのガウディは自然の持つパターンを原点とする建築デザインを展開しました。これらは世界遺産にもなっているように、現在も大きな影響力をもって受け入れられています。

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旧郵便局・ブタペスト  レヒネル・エデン

ほぼ同時代にスペインから遠く離れたブタペスト/ハンガリーのレヒネル・エデンもガウディ―とよく似た有機的デザインを展開しました。

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旧郵便局/ブタペスト レヒネル・エデン

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ブタペスト/ハンガリー  マーチャーシュ教会

ハンガリーの土着文化はゴシック建築に対抗して、ぎりぎりの自己文化の主張を盛り込んだキリスト教・教会、マーチャーシュ教会を建てました。

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ブタペスト/ハンガリー  聖ビート教会

キリスト教は制圧した土地に、その権威の象徴であるゴシック建築の教会を建て、キリスト教の名のもとに、マジャール人の土着文化を威圧してきました。この聖ビート教会・ゴシック建築が周囲のハンガリー文化に割り込んで威圧している様子がみてとれるでしょう。

日本人は明治以降、近代化という名目で、約150年間、西洋文化を絶対的にあがめてきた。我々には西洋文明/キリスト教は絶対的に善であるように刷り込まれているのです。

最近見た映画<沈黙>(原作:遠藤周作)は江戸時代の長崎/五島列島における宣教師のキリスト教・布教とキリスト教禁止令を実行する幕府とのせめぎあいの話ですが、キリスト教側からの上から目線の描き方(監督:マーティン・スコセッシ)で、きっと日本では受けないに違いありません。今必要なのは、反対側からの視点と思うのですが。

これを書いてから、監督の<沈黙>に対する思いを読んでみたら、当方の印象に反して、正に西洋式キリスト教の暴力を批判し、「今、一番危険に晒されているのは、ここ5年ほどに生まれた若い世代です。勝者が歴史を勝ち取っていく世界しか知らない。世界はそういうものだと思ってしまってはいけません。また、物質的・技術的になった今の世界だからこそ、人を信じるという心を真剣に議論すべきなのです。」といっています。正に反対側からの視点で描いたといっているのです。 しかし、 監督がいくら頭で思っても、体に刷り込まれた西洋・キリスト教の感覚と、当方の東洋の感覚にずれがあったのかもしれません。ご興味ある方はご自分でご覧ください。

キリスト教は常に侵略的であり、排他的です。われわれにはキリスト教的刷り込みがはげしく、対立するユダヤ教やイスラム教の立場からの視点を想像できないほどです。例えば十字軍の行った反キリスト教信者に対する大虐殺などはその反対側から見るとどうなるかは考えたことも無いのです。

しかし、そんな150年にわたる近代化の流れの中でも神道や仏教の感覚は脈々と日本人に流れています。

キリスト教の支配する欧米の政治・経済における行動パターンは、キリスト教では
<世界が神・人・自然の順番に配列されている>ことに起因します。動物はヒトの為に存在すると聖書には明記されており、人は一般的生物からどこまでも遠ざかる(超越する)ことを目指しているのです。自然はヒトに支配され、対立する構図が生まれます。

(トランプ現象はこの上から目線のキリスト教・ドグマの一方的押し付けによって生じたアツレキがはじけて、このドグマを叩きのめすことによりその矛盾の解決を試みている。)

一方、神道/仏教は常に人は自然の一部であり、人は自然と同化することを目指しています。

(この西洋文明・キリスト教至上主義と神道/仏教の自然融和主義の双方を合わせ持つ日本人はキリスト教とトランプ現象の真ん中に入ってどういう道をとるのでしょう。)

トランプはさておいて、

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浜離宮庭園からのビル群

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東御苑からのビル群

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最近美術館めぐりの中間点としてうろうろしている六本木ヒルズ

都会のビル群を見れば、欧米的近代化の先端として素直に誇らしく思う人と、人が自然から離れて様を密かに恐ろしく感じて、なんとかこの様そのものを自然として受け止めて自分をだましてしまおうとする人、あるいは諦めてじっと耐える人がいるだろう。

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ちなみに六本木ヒルズに巨大なクモのオブジェイがあります。少しでも人を自然に留めておきたいあがきの表現と思うのです。

近代化=キリスト教・ドグマ=自然から人を引き離す
よって、近代アートは、無機的に、モノトーンに、曲線より直線に。しかし一方で常に自然から離れることを恐れ、その間で揺れ動く。

さて、ながいながい前置き後にマリメッコ展にもどります。 なぜ、フィンランドのマリメッコはひとびとに受け入れられたのだろうか? 長い切符売り場の列が示すように、日本人、特に若い人はマリメッコのデザインが好きなのです。

そのデザインはシンプルで、一見、キリスト教的、自然と対立する無機的デザインであるかのように見えて、その根底は強く自然と結び付いています。白地に黒玉におけるわずかな角ばりが自然との結びつきを暗示すると思うのです。

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マイヤ・イソラ デザイン 1961

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マイヤ・イソラ デザイン 1964

マリメッコのデザイナーは複数いて、入れ替わりながら商品を作っています。 上2点のようなとてもシンプルなデザインと、下2点のような、かなり自然を直接表すデザインの間を揺れ動いています。

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アイノ・マイア・メッツオラ デザイン 2012

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マイア・イソラ デザイン 1926

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石本藤雄 デザイン 1986

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石本藤雄 デザイン 1986

日本人のデザイナーも活躍しており、上2枚のデザインは日本着物的方向を織り交ぜているのでしょう。 上のデザインは水面に浮かぶ染料のパターンから起こしたと思われますが、当方の追いかける水面/波パターン撮影で何度も出会っているパターンです。実はこのパターンは当方のおいかける中核的パターンなので、マリメッコでも取り上げていることはうれしいことです。さらにこのデザイン化の手法は、マリメッコ展で2番目に当方に迫って来た絵なのです。

日本の伝統文化はもともと自然と融合することを目的としており、自然を表現するにはなにも苦労することがないのです。むしろ、近代的感覚にどうやってマッチさせるかのほうが課題となるのです。ここにもマリメッコ理解のヒントがあります。

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脇坂克二 デザイン  1973

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マイヤ・ロウエカリ デザイン  2009

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脇坂克二 デザイン 1971

上3点のように<自然イメージ>と<シンプルデザイン>のほどよい融和デザインはマリメッコの神髄を表しているように思います。

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ペンツティ・リンタ デザイン 1974

上のデザインのように多くの色を使う場合もありますが、当方には下のデザインのように色を3色に、意図的に限定する方向が大変印象的です。十分計算された、限定された色において、人を引き込む方向は、当方の発想を転換する強烈なインパクトがあります。

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アンニカ・リマラ デザイン 1967

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アンニカ・リマラ デザイン 1967

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アンニカ・リマラ デザイン 1967


上の2点は一つのモチーフのバリエーションで多くのデザインを生んでゆく手法の例ですが、この手法も印象的です。

少ない色、一つのモチーフの使いまわし、これらは全くの逆転の発想です。なぜこれで人を引き付けられるのだろうか? そこには自然に深くはったの根っこの存在に大きな意味があるに違いありません。

ヒトから離れて無機的に走る近代的(すなわちキリスト教的)デザインの方向と、その逆のヒトの自然への憧れの深い根っことの融合を、少ない色と一つのモチーフで達成するとは、なんということでしょう! 言ってみれば、思いっきり自然を根っことしたモチーフをシンプルにすることによって、近代的に見せるということになります。これがマリメッコの秘密の手法なのでしょう。

フィンランド人に根差した自然への感覚をシンプル化によりモダン化した流れと、マリメッコ初の外人デザイナーが森脇克二という日本人であった、つまり同じように自然に融合する感覚の持ち主である日本人が一番この流れに乗りやすかったということである。そして、日本の若い方がマリメッコが好きであることは無論、世界中がマリメッコを愛したということは世界中が結局は自然から離れられないことを意味している。

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マイヤ・イソラ デザイン1964

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マイヤ・イソラ デザイン1964

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アイノ・マイア・メッツオラ デザイン 2012

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マリメッコ展はこれでおしまいです。写真は全てマリメッコ展カタログからのコピーです。写真が汚くてすみません。




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アート考察  その2 近代工芸と茶の湯 II

アート考察  その2 近代工芸と茶の湯 II

2017-1-31
東京国立近代美術館の瑛九(えいきゅう)展を見に行ったついでに工芸館に寄りました。ここも無料、写真撮影OKで天国です。

撮影機材はFujifilm X-T10 + Zeiss touit 32mm

近代工芸と茶の湯 II (2016.12.17 - 2017.2.19)
<東京国立近代美術館が所蔵する近・現代工芸のコレクションの中から、“茶の湯のうつわ”をテーマに作品を選び出し、近代から現代にかけての茶の湯の造形について概観する>

当方は茶の湯にはまったくうといのですが、
1)同じ陶磁器作家さんが作った作品でも、一般の使い方の陶磁器に対して、茶の湯関連の陶磁器になると値段が一桁アップするということ、
2)陶磁器に大した興味ない人でも、茶の湯に関連する方は茶の湯の陶磁器に異常に反応するということ
の2点を経験しているので、<茶の湯>はなにやら特別な世界であり、見方によっては異常な世界ともいえます。


220点ほどの中で、当方が注目した16点の写真を載せます。ここに載せなかった作品には、北大路魯山人とか富本憲吉とかバ-ナード・リーチとか有名な方の作品も多々あるのですが、名前が有名かどうかは関係なく、この異常に隔離された伝統の世界に、現代的新作がどう食い込んでゆくのかが当方の興味です。

まずは茶室が3つ存在します。
インテリアデザイナー・内田繁(1943-2016)氏が制作し、ミラノ、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、オーストリアなど海外にも巡回した組み立て式の茶室です。壁ではなく、竹材など光を通す素材に囲まれた茶の湯の空間を演出しています。
外の展示物をこの茶室においた時にどういう印象を与えるかを想像してみると、その作品の持つ意味がよくわかります。

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市野雅彦  丹波赤ドベ茶器 2016

その中の一点、この重厚な茶器を見て、この存在感には圧倒されます。自然と融合する茶室空間にさらに溶け合っている作品と圧倒的に存在感を示す作品とどちらが茶の湯でもてはやされるかは知りませんが、わずか数十センチ四方の物体が、空間全体を変えてしまう様はなるほどと焼き物の力を納得してしまいます。こういう存在感のある物を作りたいものだ!
市野雅彦さんは兵庫県の現役作家。

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津金日人夢 青瓷花生 2016

いかにも現代風な作品。伝統と新鋭主張の間の融和と同時に強い緊張関係を感じます。しかし、まだまだ、もっと突き抜けるべきでしょう、伝統に妥協している。
津金日人さんは有田の青瓷作家。

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高橋奈己 白磁水指   2016
当方が興味をもった若い女流作家、高橋奈己さんは2016日本伝統工芸展にも入選(日本工芸会新人賞)し、こんなところにも登場していました(どうやら同じ作品)。今や売れっ子のようです。

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田島正仁 彩釉鉢 2016

これを選んで、後で調べたら、この方も2106日本伝統工芸展で入選(朝日新聞社賞)して、当方が最も印象的作品としてブログで紹介した作品の作家さんでした。

新しい手法を確立すると、やっぱり各界で注目される。これらは単体では魅力的だが、本当に茶の湯の現場に受け入れられるのかは当方には分かりません。本当にいいものは、きっと古い伝統の中でも存在しうるのでしょう。

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ルーシー・リー 鉢  1965

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ルーシー・リー  マンガン釉線文碗  1970

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ルーシー・リー  ピンク線門碗 1975-79

イギリスを拠点とした陶芸家、ルーシー・リーはやはり選んでしまいます。15点の内3点もルーシー・リーになってしまいました。西洋人はもともと持っているものが違うので、日本的陶器を作っても、ひとりでに異質の感覚を放つのです。現代の女性はルーシー・リーに傾倒する方が少なくありません。残念ながら、男の当方には、この女性的感性は真似しようにも真似られません。しかし、当方の作品はある意味、西洋的感覚を陶器に持ち込むことにより、伝統で固まった日本陶磁器の世界を脱出しようとしているのですから、スシー・リーは先生でもあるのです。
ルーシー・リーとバーナード・リーチの対立と和解の物語はおもしろい、どこかで紹介しましょう。-

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岩田藤七 水指彩光  1976  ガラス 宙吹き 

陶磁器のような風貌の中にガラスの色と質感を表現していることに驚きます。吹きガラスで手法的に当方には全く手がでませんが、この感覚は何とか取り込みたいものです。当方はガラスにも足を突っ込んでいるので、ガラス作品もアイデアを得るソースとなりえるようになりました。

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加藤考造  瀬戸黒茶碗 昇竜  2011

多治見の数人いる加藤姓の人間国宝の内の一人。この黒瀬戸に文句をつける人はいないでしょう。

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三輪壽雪(十一代休雪) 鬼萩茶碗 1989

三輪壽雪は萩焼の人間国宝。

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辻 清明   信楽自然釉茶碗  1992

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磯井正美  蒟醤(さんま)梅文干菓子盆   漆器 蒟醤

<さんま>は、丹念に塗り重ねた漆の表面を、ケンという特殊な刀で模様を線 彫りし、そのくぼみに色漆を埋めて乾いたのちに磨き仕上げる技法です。磯井正美さんは高松の人間国宝。<さんま>はもとは中国地方が発祥の地であるが、讃岐漆器と言われるように高松藩(香川県)で育った工芸。京都の伝統工芸展で初めて出会った<さんま>は、古き伝統にもかかわらず、その現代的感性をうならせる魅力に大きなインパクトを当方に与えている。 

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人間国宝・巨匠コーナー 藤土師萌 辰砂葡萄文耳鶴首花瓶 1942

茶の湯とは独立したこのコーナーでは人間国宝の作品で朱色をはじめ、赤系の色合いが感じられる選りすぐりの名品を紹介しています。

藤土師萌(かとうはじめ)、この方も岐阜県(瀬戸)・加藤姓・人間国宝の一人。辰砂は水銀系釉薬で古くから、赤系統の色を出す貴重な釉薬。なんとも魅力的色を出す。

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人間国宝・巨匠コーナー 藤土師萌 紅地金襴手菊花文飾壺 1942

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人間国宝・巨匠コーナー 青野武市 金赤被牡丹文蓋物 1994 ガラス、型吹き

近代日本を代表するグラヴィール作家の一人である青野武市(あお のたけいち)の作品。グラヴィールとは、銅盤などの回転工具でガラス表面を削り、絵画的な文様を表す技法。

気が付けば、やはり人間国宝と言われる方の作品を多く載せている結果になりました。

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美術館を出て、夕暮れの北の丸公園を歩く。今年は梅の開花が早い。

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桜の季節に、当方がよく歩く穴場、北の丸公園の千鳥ヶ淵に内接する遊歩道。この時は人っ子一人いなかった。

伝統と革新のせめぎ合いはとっても、とっても参考になりました。
近代工芸と茶の湯 IIは2月19日までやっています。ご興味ある方はおたずねください。
写真が撮れるからgoodです。

自然教育園は、ユキワリイチゲがやっと咲き始め、フクジュソウとセツブンソウの3者が同時に咲いています。カワセミ・メスは毎日飛び回り、時折オオタカが現れるという、写真ファンには悪くない状況になってきました(2017-2-17)。

アート考察 その3 草間彌生

アート考察 その3 草間彌生
アート考察はちっとも受けないなと思いつつ、自分自身にとって、とっても重要なことと頑張って続けます。
草間と最初の出会いは数年前に軽井沢をうろうろした時に、軽井沢現代美術館で草間の展覧会をやっている横を通り過ぎた時に、ド派手な草間の絵の看板があって、なんじゃこれはと記憶に残ったのです。その後、昨年9月に東京国立現代美術館で草間と瑛九のドット絵に出会って、この二人を追いかけることになりました。

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草間彌生/東京国立現代美術館

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瑛九/東京国立現代美術館

1月に東京国立現代美術館、<瑛九 1935 -1937 闇の中で「レアル」をさがす> そして 3月に国立新美術館、<草間彌生わが永遠の魂>を尋ねました。
まずは国立新美術館、<草間彌生わが永遠の魂>から。

1929年生まれ
統合失調症、いわゆる精神分裂症で、精神科医に見いだされて発展していった画家として特異である。草間は現在に至るまで水玉(ドット)をモチーフに制作する事が多いが(ドット・ペインティング)、これは耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身に経で埋め尽くした様に、彼女が恐怖する幻覚や幻聴から身を守るために、作品全体を水玉(ドット)で埋め尽くす儀式でもある、とされる。アメリカの週刊誌TIMEが毎年行っている世界の影響力ある100人に日本人でただ一人草間彌生さんが選ばれました(2016年)。前衛の女王と言われる。2016年に文化勲章を受賞。87歳。現在、連作<わが永遠の魂>をこれまで7年間書き続けて、現在500作以上に達している。彼女は死ぬまでこの連作を続けるつもりでいる。

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以下連作<わが永遠の魂>
これは携帯/スマホのみで撮影OK。なんじゃそれは?? カメラで撮影禁止とは意味不明。 カメラしか持っていってない当方にはきわめて不愉快。掲載写真は全て展覧会カタログからのコピー。ご容赦あれ。

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これは草間の色彩立体 それぞれ2m四方くらいの大きさの立体として展示

草間の一回目の転機は精神医に絵画の才能を見いだされて、この後押しで世に知られるようになる。
二回目の転機はニューヨークにわたり、世界的に認められる。

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NY時代の前衛的活動の作品には当方の興味はないが、彼女のNYでの活動は、きっと自分の中にある既存の美術概念を洗い流す大きな効果があったと思う。体調を崩して日本にもどり、病院暮らしの間にNY時代の発展形とコラージュなどの作品を生む。当方はこの時代に蓄積された記憶が現在の<わが永遠の魂>のベースとなっているように思う。
例えば、我々が見慣れた細胞の模式図は<わが永遠の魂>の世界と類似する。この病院時代の彼女の頭には種々の顕微鏡的図形が渦巻いていたに違いない。これは珍しいことではなく、ワシリー・カンジンスキーやオディロン・ルドンが顕微鏡下の世界に入り込んでいったことが知られている。

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カンジンスキー

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ルドン

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ルドン

いずれにせよこういった連中の脳みその中は尋常ではないのである。

草間も瑛九もコラージュの時代があったことは当方にとってとても意味あることだ。
違った次元の図形をぶつけ合わせることにより新しい何かを生み出そうとする衝動がそうさせているに違いない。そしてコラージュを抜けた後に来る、ドット反復への回帰と集大成である<わが永遠の魂>への帰着。
当方は現在、陶器とガラスをぶつけ合わせようとしている。失敗の連続。累々たる残骸の山である。通り抜けなければいけない段階とおもうが、まだ入り口にも達していない。真っ暗なトンネルの中。

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コラージュの時代

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コラージュの時代

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コラージュの時代

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NY時代の延長線

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ドット反復への回帰

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有名なドットかぼちゃ

この後、<わが永遠の魂>へ帰着する。

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草間カボチャ

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草間グッズを買うために並んでいる方々

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草間ドット

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草間ドット

意外なことに、草間グッズは若い女性に大人気。草間はそれを狙ったということは考えられないのに<カワイイー>というレスポンスが沸き上がるのは何故か?? ヒトの脳ミソに存在する何かの普遍的映像を草間はズバリと浮き上がらせたのか??


アート考察 その4 <瑛九:闇の中で「レアル」をさがす>&<DOMANI・明日展>

アート考察 その4 <瑛九:闇の中で「レアル」をさがす>&<DOMANI・明日展>

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国立近代美術館  瑛九:闇の中で「レアル」をさがす(2016.11.22 - 2017.2.12)
瑛九(えいきゅう、本名:杉田秀夫、1911-1960)は1936年にフォト・デッサン集『眠りの理由』で鮮烈なデビューを飾り、その後さまざまな技法を駆使しながら独自のイメージを探求した。彼の友人の画家、山田光春の旧蔵していた作品と資料の中から約50点の初公開。

眠りの理由:切り抜いたデッサンや様々な物を印画紙の上に載せて感光させた写真作品<フォトデッサン>と名づけられた。この瑛九としてのデビューの後もエッチング、リトグラフなどの版画に取り組み、晩年は油彩による点描にシフトする。

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『眠りの理由』より 1936年 ゼラチン・シルバー・プリント

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瑛九のデッサン

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瑛九のデッサン

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瑛九のあがきのプロセスがわかる。写真によるコラージュ<フォト・デッサン>の時代を経なければならなかった意味は何だろう?
瑛九がコラージュに手を染めたのが、1937年あたり、草間がコラージュに手を染めたのが1975年あたり、40年近い隔たりがある。コラージュが単なる時代の流行ではなかったようだ。絵描きはなぜ一時期コラージュに入り込むのか?

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新国立美術館 DOMANI 明日展 (2016-12-10~2017-2-5)
未来を担う美術家たち  文化庁新進芸術海外研修制度の成果

若手芸術家の海外の大学や関連機関等で行う研修を支援する制度<新進芸術海外研修>の成果発表。

岡田 葉 イギリス 2002年 絵画
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自然の表し方を参考にする。特に葉っぱ。


秋吉風人 ドイツ 2011年
透明アクリル板に透明度の高い油絵具を塗り重ねる。
ガラス・フュージングにぴったりのアイデアと思った。

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南隆雄 フランス 2010年 メディアアート  映像と音響のコラージュにより地中海を表した。

ビデを画像が元になっている。当面、この手法は使う気なし。

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曽谷朝絵 アメリカ 2014年 絵画、インスタレーション  神経のパーツ、細胞のパーツ、鉱物の結晶のパーツ、暗闇のパーツ、空のグラデーションのパーツ、それらを絵画から解放し、空間に解き放つことにより何が生まれるだろう。
切り紙細工はガラス・フュージングに使えるアイデアと思った。その前の2枚の手法は陶芸の絵として使えるかもしれない。

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平川裕樹 ドイツ 2015年 現代美術

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当方の写真と全く同じ。

山内光枝 フィリピン 2015年 インスタレーション 海の計り知れない懐に魂を開放

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海の写真は、当方の方向と全く同じ。当方の方向をもっと追求したい衝動に駆られる。

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折笠 良 カナダ 2015年 アニメーション

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最近、陶芸で線の羅列に魅かれている。

今回のアート考察はガラス・フュージングに使える手法の収集。もう一つはアート写真とは何だという問いへの答えを探して。色々な人が色々な試みをしていることは嬉しい。しかし後者はまだまだ答えが出ない。

インスタレーションとは、<ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。ビデオ映像を上映して空間を構成することもあれば(ビデオ・インスタレーション)、音響などを用いて空間を構成する(サウンド・インスタレーション)こともある>。
コラージュは今はインスタレーションと名前を変えたといえるかもしれない。複数の手法の融合による空間構成。

当方の考える超主観空間はインスタレーションともいえる。

アート考察 その5  <茶の湯>

アート考察 その5  <茶の湯>
2017-6-2, 3
ちょっと重い腰を上げて、東京国立博物館に行きました。<茶の湯>という特別展で茶碗の勉強をしようと思ったのです。閉幕までにあと数日ということで、空いてはいないだろうと思っていたのですが、予想を越えた混み具合でした。
とにかく、いくら係員が移動して次の方が見られるようにしてくださいと連呼しても、まったく反応しない人々と、合煮やして途中から突っ込むおばさん連、この年代のおばさん連にとって人ごみはかき分けるものだと思っているらしい。人ごみは<ごみ>でなくて<人>であるとは全く認識していない。
意味不明なのですが、非常に混んでいる展示物と空いている展示物(国宝級が空いている)が存在するのです。空いている方に回ればいいのですが、とにかく混んでいるところにいいものがあるに違いないと、むやみに突っ込む(この世代のおばさんは背が低いから、展示物がなにか全然見えないのです)、その連鎖でますます混む悪循環が生まれる。これが<茶の湯>を解する人たちとは到底思えない。

<茶の湯>とは真(まこと)なのか? 環境が変われば消えてしまう虚なのか? 

  昨日ここまで書いて、今日(6-3)は池坊専好の物語<花戦:はないくさ>を見にゆきました(面白いです、推薦)。人の上に立つ者<茶と花と人の心を大事にせよ>と信長が説く。<茶道とはおもてなしの心>が茶の湯/利休の精神。そして、華道/池坊の精神とは?? 池坊の源流は京都・六角堂の僧侶、池坊専好であった。<ヒトは自然(神)の一部であることを花を介して感じて、祈る>。これ当方の勝手な解釈で、どこにも書いてない。伊藤若冲から学んだこと、<万物には霊があり、自分の絵はそれを押し頂いて表しているにすぎない>、伊藤若冲の精神を華道に当てはめてみました。


さて本題にはいります。
最近、理想のぐい飲みを目指して、同じ形の片口とぐい飲みペアを10組作って、いろいろなゆがけ/絵付けをしています。
これはその一つ。マリメッコのデザインと、陶器でよく使う半割ゆがけをミックスしたもです。

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マリメッコ

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当方は、マリメッコの、<自然を少ない色数でシンプルに、しかし核心をついて表現する>この考え方に賛同しているのです。

これだけじゃないですよ。

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当方は、伝統的手法だって、使おうと思えば使えるのです、なんちゃって。

さて、話をもどして、
<茶の湯>で出あった茶碗に<マリメッコ>を見ました。

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黄天目 珠光天目 中国 元―明時代 14~15世紀

深く勉強するのは面倒なので、当方の感覚で<茶の湯>の茶碗をばっつりと4つに分けました。

1、 利休以前:中国、韓国の道具を日本の選美眼で選び出し、時の権力者の都合によって作りあげられた、<偶然と選択の芸術>。

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柿釉金彩蝶牡丹文碗 中国/定窯 北宋時代 11~12世紀

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斗々屋茶碗 銘 広島 朝鮮 朝鮮時代16世紀

2、利休と楽:<無作為の作為>をはっきりと意図した画期的<作為的芸術>の始まり。

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黒楽茶碗 銘 利休 長次郎 安土桃山時代 16世紀

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赤楽茶碗 銘 白鷺 長次郎 安土桃山時代 16世紀

2、 安土桃山から江戸時代前期のダイナミズム:これまで偶然から選択してきた美の本質を自分の心の声にしたがって、のびやかにダイナミックに自らの手で作ることを追い求めた時代。

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伊賀花入 銘 生瓜 伊賀 安土桃山~江戸時代 16~17世紀

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伊賀耳付水指 銘 破袋 伊賀 江戸時代 17世紀

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志野矢筈口水指 銘 古岸 美濃 安土桃山~江戸時代 16~17世紀 

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黒織部菊文茶碗 美濃 江戸時代  17世紀

4、<きれい>の時代:時代の権力者や芸術界の権力者や一般ユーザーの好み、見手を意識
した、よくいえば円熟した、悪く言えば自然の本質への関わりが薄まってゆく時代。

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色絵鱗波文茶碗 仁清 江戸時代 17世紀

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高取面取茶碗 高取 江戸時代 17世紀

この時代は再び古典にもどる動きがあります。どの世界も新古典主義というのがあります。

そして、現在は? 右往左往しながら、まだ4の時代に留まっているのではないか? 陶芸教室の生徒さんはみな、織部だ志野だと、昔の名品に似ていると言って、してやったりと喜ぶわけです。プロの活動も伝統の縛りの中で右往左往しているように見えます。

当方の主張はただ一点、<自然に戻れ>です。<古典に戻れ>ではありません。<確立した美意識に従え>でもありません。

過去の大家が自然を穴のあくほど眺めて、自然を作品の形にしたのに、現代は過去のデザインを見て、頭の中で、その延長上に独自性を出そうとしています。これでは次の世代が何も生まれません。

0ベースで自然から形を作り出すのは大変なのです。でもそれをやらなければ、クリエーターとしての存在意義は無いと思っています。 お前いつクリエーターになったんだ???? というお言葉を黙らせるために、さて、また器作りに励みますか。クリエーションしようと思う者は全てクリエーターなんだ。

茶碗の写真は全て2017年、東京国立博物館特別展<茶の湯>カタログのコピーです。







アート考察 その6 陶芸財団展(国立新美術館)

アート考察 その6 陶芸財団展(国立新美術館)

陶芸教室に案内が出ていたので、なんだかわからないけれど行ってみました。国立新美術館で開催されて、無料ということが足を運んだ理由かもしれません。結論をいうといい展示会でした。日本伝統工芸展で、あまりにも伝統というハードルが高いので、これでは新しい試みをする陶芸家はどこの展示会に応募するのだろうと疑問におもったのです。あまり伝統のハードルを高くしすぎると、みなさん夢が持てなくなって、陶芸がすたれてゆくのではという懸念をもったのです。
後述しますが、ここの主催者の一人と話していると、この方は、この展示会はハードルを下げて、新しい試みの方もどんどん出展できるようにした。そうしないと陶芸がすたれると全く同じことを言っていました。広い会場でなるべく多くの方に出展してほしいと言っていました。伝統、茶器、前衛、実用食器、インテリア、人形と6つの部門に分けて、総計370点あまりが展示されていました。文化庁、東京都、埼玉県その他陶芸関係の団体や企業が後援、協賛していました。

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何らかの賞をとっている作品は38点で約1割です。当方はこの賞とは全く関係なく、えらい人の作品か否かも関係なく、ただ自分の陶芸に役立ちそうな試みをしている陶器をピックアップして、27点載せます。この中で賞をとっているのが4点ですから、1割以上で、賞というのも少しは意味あることなのかもしれません。賞は気にしないといったら、さきほどの主催者の方は、そうかもしれないけれど、賞を付けないとメリハリがつかなくなって、これも困る、と言っていました。

以下、作り方がよくわかるように、写真を少し修正しています。実際の見た感じと少し違うかもしれません。また作品の説明が2つほど、不明(当方の写真情報が読めないため)で書いてありません。この2点は作家さんに申し訳ありませんでした。

白金自然写真クラブの会員のお金持ちが、ごく最近、白金にギャラリーを作りました。そこで、<海からの贈り物、森からの贈り物>という題で、写真、陶器、ガラス器をミックスした当方の感性の全てをかけた個展を開きたいと思っています。今年中に開催するつもりですが、実際はとっても苦戦しています。

さて、まずは<海からの贈り物>に役立ちそうなアイデア収集から。

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伝統 緑の流れ 奥村智彦 岐阜県

これは波パターンの作り方に参考になると思って取り上げました。

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インテリア 重森勘二 神奈川県 東京都知事賞

これは、特にユニークというわけではありませんが、評価されていました。パターンの連続により全体を構成するという意味で参考になります。

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インテリア 黒釉耳杯一呪文のにおい 横田光子 埼玉県

この耳の曲線が当方の良く使う曲線で、黒がよく合うので、取り上げました。

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前衛 春はそこまで 吉田全子 北海道

通常のガラスの使い方ですが、参考になります。

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前衛 やがて いつかは 吉田茂樹 東京都

ロクロと手びねりのドッキングの一形態として拾いました。

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インテリア 魂樹  柏井敦子 埼玉県

当方がいつも作っている曲線ですが、当方はこのようにもろに前衛を前面に出すことはしないと思います。

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伝統 瑠璃釉線文壺  安井永治 千葉県 栗田美術館賞

こういうデザイン型の模様は当方使わないのですが、インパクトがあるので載せます。

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インテリア 石垣の海に  中島瞳  千葉県

当方の貝と波シリーズではこういうもろに貝は作らないようにしています。しかし、この会場唯一のもろ貝ですので、敬意を表して載せます。

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インテリア 深淵  森法子   埼玉県  陶芸財団奨励賞

波の模様の作り方がとてもいい。参考になります。

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前衛  創  吉仲翠雅  東京都  陶芸大賞

これも前出のパターンと同じ。当方がいつも作っている曲線ですが、当方はこのようにもろに前衛を前面に出すことはしないと思います。

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伝統 北の自然な紋様壺  田中一夫 北海道

これは線彫りによる波パターンの描き方の参考になると、とっても当方にインパクトを与えました。

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伝統 深淵  中井智子 埼玉県

これも波パターンの描き方の参考です。

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伝統 生々2017 佐藤等  神奈川県

これはかなりのインパクトをもらいました。それほど新しい手法とは思いませんが、参考になります。どちらかというとマリメッコ路線。というか、マリメッコの同じようなパターンがあったような気もする。

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実用食器  織部組皿  大島正敬 千葉県

このようなシンプルですが、何か心が和む器というのはとても大切な方向だと思うのです。

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伝統  環  畑俊  東京都 

この作品は、当方がロクロと手びねりのドッキングを考えていた時に、ちょうどこんな形を作ろうとおもったのですが、たいしてインパクトないと捨てたアイデアに近い。しかし、実際に他人様の作ったものを見ると、ここをこう変えると使えるかもしれないと、かなり長い間考え込みました。

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茶器  黒茶碗 <大河>  萩原龍山 神奈川県

これも波パターンの作り方の参考。

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油滴天目の釉をうまく使った例と思います。こういうのは受けるでしょうね。ほんとみなさん油滴天目が好きですからね。

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インテリア 春の訪れ 大塚梨恵 栃木県

草間彌生のような連続ドットの使い方が見方によると、とっても海っぽい。もし本当に穴が開いていると、使い道無い気がしますが。

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インテリア Blue-sky 松澤三紀子 埼玉県

この模様はどこからきたのでしょうか?面白い。波パターンの絵がき方の参考に。

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伝統 色絵魚文陶x  遠山圭壱  埼玉県
魚パターン。

以下は<森からの贈り物路線>の参考です。

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伝統 華音 船田美智子 茨木県

線彫りの花パターンのてんこ盛りは好きな方向です。

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実用食器  芥子文組鉢  石井康規  埼玉県
マリメッコ路線です。

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実用食器 森からの贈りもの 熊井京子 埼玉県

これはまさに<森からの贈り物>という題名でしたので、敬意を表して載せます。

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茶器 花神 板津真弓  東京都 

この手のボックスに穴を空けた花器は何か魅かれる。

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実用食器 森 伊東晶子  千葉県

葉っぱパターンの素朴な描き方。

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こういう素直でない方向は好きでないのですが、なぜ穴が開いていて、そこから線が引かれているのか?そこが気になったので載せました。

370点以上の出品から27点を選んで載せました。370点の殆どを写真撮影しました。さら興味あるものをダブルで撮影して、出ようとすると、主催者の一人から声をかけられました。今後のこの展示会に出展してくださいと言うのです。特に次の展示であるお皿の展示会に出展してくれというのです。どうやら国立新美術館のこの会場を公募で埋めるのは大変らしい。今回相当苦労したので、お皿に特化した展示会ではもっと大変と予想しているようです。お皿でなくて来年のこの展示会には出展したいと思いました。お皿は通常作らないので、これから考えます。
最初に書きましたが、これはとってもいい展示会だと思います。ちょっとやる気が出てきました。7月9日まで開催されていますので、ぜひ足をお運びください。






アート考察 その7 絵画/写真/陶器クロスオーバー

アート考察 その7 絵画/写真/陶器クロスオーバー

くそ暑い中、自然教育園を歩いても、いっこうに撮る物が無い(あるのかもしれないが、暑さで頭が回らない)。ここのところ自然教育園を見捨てて、もっぱらいろいろな展示会に足を運ぶ。当方の感性のベースである絵画と現在の関わり合いである写真と陶器に関する展示会を転々として、そのクロスオーバー的考察をしてみよう。3,4回に分けて展示会の様子を述べて最後にクロスオーバー考察をする。

7-1 <世界が見た、驚きと感動の大自然 ネーチャーズベスト傑作写真展>  
(2017-6-9~8-9)日比谷図書文化館 
2017-7-22
ネーチャーズベストは1995年にスタートした世界最大規模の自然写真コンテストで、毎年、世界中の優れたプロ、アマチュアカメラマンから寄せられる数多くの応募の中から優秀作品を選定し、毎年700万人が訪れるアメリカのスミソニアン国立自然博物館で展示、表彰するものです。今回はネーチャーズベストのアジア部門の歴代の受賞・優秀作品を中心に約80点を展示。

世界レベルで本当に評価されているネーチャーフォトとはどういうものかという興味から日比谷図書文化館に行ってみました。
評価されるには大きく分けて4つのパターンがあると思いました。
1、自然から新しい色とパターンを発見する。あるいは意図的に色とパターンを生み出す。これは撮影場所とタイミングにプラスして撮影者のクリエイティブなセンスが必要です。
2、自然から新しい色とパターンを発見することは同方向であるが、発見が十分でない場合、ヒトや生物を少し混ぜて、その組み合わせでクリエイティビティ―を増強し、あるレベルを突破する。
3、とても珍しい、あるいは撮影困難な対象(生物)をただ撮ったということで、差別化する。水中写真はただ撮ったというだけでかなりの差別化が出来ると思われる。珍しさが十分でないときは、プラスアルファとして、特別な状況を加える。たとえば卵を持っているとか、複数の生物のクロストーク/相互関係(殺し合いや各種バトルも含めて)、特別なパターン形成とかである。
4、生き物の表情、親子関係、子供のしぐさ等、生物に対してヒトのエモーションを投影することによる共感の獲得。

以下、Fujifilm X-T10 + Zeiss touit 12mm or 50mm macroで撮影。

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説明がついていない絵はスライド投影からの撮影です。展示が入れ替わるので、スライドの写真が現在展示されているとは限らないのです。スライドで説明されていたのかもしれませんが、音声だと記録するのが難しい。

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この会場で唯一のソニーカメラの作品です。オリンパスが1点、ペンタックスが1点、後は全てニコンとキヤノンが占めます。この分野でミラーレスが浸透してゆくにはまだしばらくかかりそうです。おもしろいですね、ここに載せた写真に関して、当方は写真をみただけで、ニコンで撮ったか、キャノンで撮ったかを全部当てることが出来ました。ダイナミックな機動性重視がキヤノンで、スタティックな感性重視がニコンです。機材が撮り方を変えるのか? 撮り手の思考が機材を選ぶのか?

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こういう魚群像は当方の好みなので、載せます。

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ネーチャーフォトを撮っているプロ達のいで立ちは以下の様で、デカ望遠を付けたキヤノン、ニコン一眼レフです。この点自然教育園をうろうろしている連中と同じです。

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もっといっぱい写真は展示されており、興味ある方はご自分で出かけてください。8月9日までやっているし、300円で、撮影OKですからコストパフォーマンスはgoodです。ぜひお尋ねください。

また明日。



アート考察 その7 絵画/写真/陶器クロスオーバー 

アート考察 その7 絵画/写真/陶器クロスオーバー <7-2>
次に、
比嘉良治写真展<時がこもる浜・沖縄> 東京アートミュージアム (2017-6-1~9-17)
2017-7-23
比嘉良治(1938年~): 沖縄県名護市生まれ。名護高校で美術クラブに所属。多摩美術大学洋画科卒業後、渡米。コロンビア大学修士課程を卒業。サウスハンプトン大学、ロングアイランド大学で教授を務めた。2000年からロングアイランド大学名誉教授。現在、画家、写真家として活躍している。ロングアイランド大学名誉教授。ニューヨーク在住。最初は絵画、版画の抽象的作品であったが、写真作品を中心に制作するようになる。

昨日の写真展とこの写真展を対比させるのは重要な意味があります。

陶芸における<海からの贈り物>を発展させるには、どうしても沖縄にいって、新しい海のインプレッションを手に入れなければなければならないという切迫感が日に日に増加しています。沖縄の海の写真展にいって、沖縄でどんな写真を撮ったらいいかイメージトレーニングしようと思って訪れたのですが、無数のサンゴ石の写真で埋め尽くされた展示場には唖然としました。9割がサンゴ石です。アホか、こりゃはずしたと思ったのですが、後でゆっくり考えてみると、この写真展はとっても意味があったのです。
比嘉良治氏に関しては何の予備知識もありませんでした。この写真を見て、単なる沖縄の変人と思ったのですが、意外や意外上述のようにかなりの経歴を持つ人物でした。

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さて、同じ写真という媒体を使う自然表現でもこのように全く違う表現が存在していることに驚きます。
片方が世界的権威を持つネーチャーフォトであり、片方が単なる変人のたわごとに過ぎないといえるのでしょうか?
しかし、じっと考えてみると、当方はこの2者のどちら側に立っているかというと、比嘉良治氏側に立っていると思えます。
 ネーチャーフォトはディスカバーであり、報道写真をルーツとする<報道者>であるのに対し、比嘉良治は心に表現したいものがあり、写真を媒体にしてそれを表わそうとする<表現者>である。

この日、当方はめずらしくカメラ雑誌を買って読んでみました。<いま評価される風景写真とは?>という企画を勉強してみようと思ったのです。この中で、風景写真コンテストに応募される写真が似たり寄ったりで、ユニークなものが減っている点、高齢者のカメラファンが増えて、撮りやすい絶景スポットにいって、群れになって写真を撮り、同じような写真を撮ることに満足する風習があることが一因である点が指摘されていました。そして、どうしたらコンテストに受かる写真がとれるかというくだりで、見手にわからないような<独りよがり>の写真はボツであるという話しが出てきました。
そうすると比嘉良治氏は風景写真コンテストでは<独りよがり>のわからない作品でボツということになるように思えます。このコンテストのレフリー側は、ユニークなものが無いと言いながら、<独りよがり>はいけないというわけです。
当方に大きな影響を与えている、ある若き陶芸プロが言うには、普段使いの陶器を作るときは買い手のことを考えて作るが、オブジェを作るときは、見手のことなぞ考えては作れない。<独りよがり>に決まっているじゃないか。

2つの問いが生まれます。
1、作り手に、評価者が<独りよがり>を禁じてしまったら、そのジャンルは均一化して衰退してゆくのではなかろうか?
2、ニューヨークのグッゲンハイム美術館や近代美術館に入ったら、どっさり、とんでもない<独りよがり>の作品に会える。<独りよがり>の作品にも評価されるものと、されないものがある。どこが違い、その価値を誰が決めるのか? 世に受け入れられる作品は、ただ時が選択してゆくものなのであろうか?

入口で封じるのでなく時が選択する。ではコンテストの評価者は本当にそれを見抜けるのか?

また明日。

アート考察 その7  <見手への意識><評価の落差>

アート考察 その7 <7-3> <見手への意識><評価の落差>

川端龍子 超ド級の日本画 山種美術館 (2017-6-24~8-20)

参考:
田中一村 新たなる全貌  千葉市美術館 (2010-8-23~9-26)
鈴木基一 江戸琳派の旗手 サントリー美術館 (2016-9-10~10-30)
伊藤若冲 若冲ワンダーランド MIHO Museum (2009-9-1~12-13)


作家が生きている時の 作家自身の自分に対する評価、プロ評価者の評価、一般人の評価/知名度、そして、時を経て後のプロ評価者の評価、一般人の評価/知名度が大きくずれていることが少なくない。最もずれが大きかったのは、ゴッホの絵で、現在は100億円以上する価値であるが、当時は一枚も売れなかった。当方の愛するゴーギャンは現在200億円以上する絵もあるが、当時は当人の思うほどの評価が得られず、タヒチに逃避してしまった。田中一村は川端龍子の作った青龍社の青龍社展で、下の<白い花>で入選するも、その後の自信作<秋晴>で評価が得られず、その後も落選を重ねて、失意のまま奄美大島にうつり、孤高の作成を続けて、そのまま一人で亡くなった。田中一村の絵は飛びぬけて、当方の感覚と同調する。伊藤若冲は江戸時代中期に活躍、 プロ評価者からの評価は高かったが、琳派みたいに権力に食い込むこともなく、孤高の活動であった。現代では海外のコレクターに人気であっても一般人の間では知名度が低かった。それが昨年突然若冲大ブームとなった。そんなこととは関係なく、昔から当方にとって、全く見手を意識しない若冲の生き方、自然に対する敬意は当方の心の師であった。アントニオ・サリエリは当時モーツアルトと並んで、それ以上の人気であったが、現在では全く演奏されない。「4分33秒」で全く演奏されない空白の楽譜で有名な、とんでもない前衛作曲家と思っていたジョン・ケージの作を最近聞いて、他の現代作曲家の曲より明らかに面白いことに驚いた。
つまり、結局は見手を気にしない作り手が、あるものは時を経て、評価され、あるものは当然のように消えてしまい。見手を横目でチラチラ見ながらうまく立ち回った作り手が、時を経てもあるものはまだ評価され続け、あるものはやっぱり消えてしまう。
川端龍子や鈴木基一はある意味、見手を横目でチラチラ見ながら作品をつくり現在も生き残っている。鈴木基一をポスト伊藤若冲という方もいるが、そりゃ無理でしょ。むしろ田中一村がポスト伊藤若冲と思います。そうなってほしくはありませんが。

まずは、田中一村
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田中一村<白い花>

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田中一村 <秋晴>

以下田中一村の奄美大島での作品

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上の絵の部分拡大

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上の絵の部分拡大。アサギマダラが端の方にいます。自然教育園で今日も丁度同じようにアサギマダラを撮影しました。当方が、奄美大島でこの場面を見つければ、当然、同じような構図で撮影しています。

奄美以前の作品。

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ここに載せた3つの絵なぞ、当方が撮る写真のアングルと同じなのです。後2点なぞ、当方の超広角レンズでの撮影と全く同じコンセプトです。

さて、次に川端龍子。

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川端龍子 慈悲光礼讃
これなぞ、この場面に出くわしたら、当方はきっと撮影しているでしょう。差し込む光とその下のコイの演出でこの絵が生きています。しかし、当方にはこのもったいぶった演出は決してすきではありません。

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これは下の絵の一部。

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川端龍子 草の実 これでも全体ではありません。

よくみると、これはいつも自然教育園で撮っている葉っぱの羅列なのです。これを撮ることは、自分にとっては魅力的でも、ありふれた葉っぱでは、だれも見向きもしないことは分かり切っています。龍子はこれを黒字に金で描くことにより、見手を振り向かせています。なるほど、このように黒を背景に写真が撮れれば、こんな写真でも見手を引き付けることが出来るに違いない。龍子のワザです。

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川端龍子 黒潮

トビウオの飛んでいるのを見たことのない一般の方には、新鮮に映るでしょうが、当方にはただのトビウオです。ネーチャー・フォトと同じで、映像が珍しければ、一般のヒトには印象的絵だということになるのです。

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川端龍子 鳴門

渦潮に鳥を飛ばす。これも丁度、受けそうなネーチャ-・フォトの一場面。

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上の一部

川端龍子は大衆に訴える作品をめざして、<会場芸術>と称する、会場でのみ意味のある大型の絵画を描き続けました。昭和の狩野永徳と称するヒトもいます。見手を意識した絵でなお評価される画家の絵はどんなものかと見に行ったのですが、やはり当方の好みではないようです。でも、そう思わせずに、こうやったら受けるという絶妙な手口は大いに参考になります。

次は、鈴木基一。ポスト伊藤若冲といわれるので、見に行きました。江戸末期における琳派御用絵師の最後の継承者です。江戸琳派の祖、酒井抱一の弟子で、琳派、御用絵師という枠内で、密かに大胆な革新を滑り込ませた。現代のグラフィックデザインに通じる仕掛けが仕込まれています。デザイナーとは見手の受けが全ての職業です。

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ボストンのメトロポリタン美術館の日本画のコーナーでひときわ輝く朝顔図屏風の一部です。

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根津美術館の夏秋渓流図屏風の一部

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伊藤若冲 紫陽花白鶏図

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上の一部拡大

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伊藤若冲
カタツムリがどこにいるかわかりますか。かれは自然を分け隔てなく描きます。万物には霊がある。その霊をいただいて、祈り描く。

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鈴木基一 夏秋渓流図屏風の一部

見手を気にしない作り手が、あるものは時を経て、評価され、あるものは当然のように消えてしまい。見手を横目でチラチラ見ながらうまく立ち回った作り手が、時を経てもあるものはまだ評価され続け、あるものはやっぱり消えてしまう。
<クリエイションとは見手を意識するべきか、せざるべきか>という問いを投げかけてみました。

写真はそれぞれの展覧会カタログからのコピーです。

アート考察 その7-4 絵画/写真/陶器クロスオーバー マダム菊池のコレクション

アート考察 その7 絵画/写真/陶器クロスオーバー <7-4>マダム菊池のコレクション

珠玉の現代陶芸~マダム菊池のコレクション~
菊池寛実記念 智(トモ)美術館 (2017-6-10~9-3)

智美術館は知る人ぞ知る、六本木界隈、ホテルオークラの裏にあるこじんまりした、しかしハイセンスの美術館で、陶磁器の展示会が中心です。菊池寛実(カンジツ)はエネルギー産業関連の実業家、その娘、菊池智(トモ)(1923-2016)は父の後を引き継ぐ実業家であると当時に、美術品のコレクション、この美術館の設立に寄与しました。本展示会は昨年菊池智がなくなって、菊池智の情熱をそそいだ現代陶芸コレクションを展示して、彼女の軌跡をたどるものです。

この展示会はたいへんインプレッシブであり、役に立ちました。現代陶芸に関するまとまった見識による展示会というのは今まで出会わなかった。この展示会は当方の陶芸の方向に新たな指針を与える予感がします。

当方の興味の順に載せます。
まずはホルム中心の興味が先行します。

河本五郎
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河本五郎 色絵渦紋飾瓶
こういう色立体が当方の目標です。上絵の使い方は当方と同じ。どう見ても実用品とはいいがたいが、ホルムと色彩のリズムが嬉しい。瀬戸

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河本五郎 「上絵に込めた情念の美」より

杉浦康益 (Yasuyoshi)
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杉浦康益 (Yasuyoshi) 陶の博物誌 ドクダミの花 
細密写実的陶器。最近いろいろな分野で抽象ばかりでなくリアリズム、超写実が流行っているようですね。真鶴半島

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加守田章二 (Shoji Kamoda)
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加守田章二 (Shoji Kamoda) 壺
当方はガラスを用いるときにこのような直線的パターンを使うことを考えていたので、参考になります。 <加守田章二:私の仕事は陶器の本道から完全にはずれています。私の仕事は陶器を作るのではなく 陶器を利用しているのです私の陶器は外見では陶器の形をしていますが中身は別のものです>  このヒトはすごい。 益子

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小池頌子(Shoko)
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小池頌子(Shoko) 貝のふたもの
正に当方の貝シリーズのような陶器。当方はこの手のパターンは使わないと思いますが。
多摩市

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なんと、この方、当方に相当近いですよ。

栗木達介 (Tatsusuke)
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栗木達介 (Tatsusuke) 歩行する輪態
これは完全なオブジェイ。インパクトあります。 瀬戸

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次は色に関するインプレッシブな作品

楽吉右衛門(十五代)
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楽吉右衛門(十五代) 黒茶碗 鳥兎  
楽茶碗です。いい色してます。 イタリアローマ・アカデミア留学の影響かな。京都

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古稀ナイトアンドデイより

藤平伸 (Shin)
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藤平伸 (Shin) 辰砂匣
辰砂の赤はやはり魅力的。何とかこの赤を手に入れないと。五条坂の清水焼をルーツとする夢つむぐ人と言われる。京都

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菊池寛実記念 智美術館「夢つむぐ人 藤平伸の世界」より

藤本能道 (Yoshimichi)
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藤本能道 (Yoshimichi) 霜白釉釉色絵金彩花と虫図六角大筥
人間国宝。これと、次は当方の上絵の先生の先生の作。晩年に赤を多用するようになった。とにかく陶器では気に入った赤をだすのが難しい。 青梅市

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藤本能道 雪白釉釉色絵金彩蝶と虫図四角大筥

次にマチエール、質感の問題。

小川待子 (Machiko)
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小川待子 (Machiko)  器
志野の白マチエールは使いこなす必要があるという感を強くした。志野焼にこだわる必要はない白マチエールの使い方である。芸大、パリ工芸学校、西アフリカと転々とする。

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小川待子はとっても、とってもユニークな人ですね。

松井康成 (Kosei) 
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松井康成 (Kosei) 練上嘯裂(しょうれつ)文壺
人間国宝。練上手という技法を集大成。彼の練上手技法というのはロクロに円筒を置いて粘土を巻き付けて模様を整え、円筒を抜き取ってロクロを回し、遠心力を使って内から外へ素地を膨らませる。外側を極力触らず内側に手を添えて成形する。とネットにでていましたが、よくわからない。下の作品なぞどうやってつくるのでしょうか???   笠間

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河井寛次郎
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河井寛次郎  灰釉筒描魚文喰龍
河井寛次郎と次の富本憲吉は有名すぎて、とくに言及することはありません。京都

富本憲吉
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富本憲吉 人間国宝 白磁八角共蓋飾壺 奈良/東京

川瀬忍
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川瀬忍 (Shinobu) 青磁大鉢

こういう伝統の真っただ中にいながら、少し外したような近代風という試みはあまり好みでない。 
大磯?

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見手は陶磁器に対して、センスがどうこうというよりは、まず技に引き寄せられるに違いない。でもここに載せた作品の上の方は、技を前面に出さずに、センスを前面に出した作品と見える。技が未熟な当方は、見手に対してなんとも苦しい。ルノワールに師事したある日本画家にルノワールが言った言葉、<デッサンはやり込めばそれだけ進歩する、しかし、色彩は持って生まれたもので決まってしまう>。技と感性のことを言っているのだろう。

マダム菊池の選ぶ現代陶芸はこれまでの現代陶芸に対して持っていたイメージとは違ってとっても多様で素晴らしいものがあった。それぞれ、知る人は知っている有名な方にちがいないが、当方にとって大半は初めて出会った人であった。こんなに多くの興味ある方に出会って嬉しい限りである。

陶芸は最も多様な方向を持つジャンルかもしれないと思えてきた。しかし、この多様性は一般の人の陶磁器に対する認識と大きな隔たりがある。一般人の実用陶磁器としての陶磁器イメージの強さと、陶磁器界の伝統工芸にこだわる強い保守性がこの多様性を封じ込めている。なぜ今まで、おもしろい現代陶芸に出会わなかったかというと、この世の中に暗にはびこる陶磁器に対する保守性が現代陶芸を覆い隠しているのかもしれない。
陶芸教室の先生の一人、ティムール・サブーリがいうには、先進のオブジェをギャラリーにもっていっても、売れる保守的イメージの作品や実用品を作ってくれと要求されるのだそうだ。結局、多くの作家が2足のわらじを履くことになる。ここに登場する作家さんの多くもそうである。マダム菊池がいいものだけを選び出してくれたのだろう。

ここにも前回述べた、<見手への意識>と<評価の落差>の問題が存在する。

写真は珠玉の現代陶芸~マダム菊池のコレクション~のカタログのコピーと一部ネットから収集して作家さんのイメージの幅を広げました。


アート考察 その7-5 絵画/写真/陶器クロスオーバー 

アート考察 その7 絵画/写真/陶器クロスオーバー <7-5>
白金陶芸教室 第4回生徒作品展(2017-7-7~12)

自分の作品の紹介で、突然レベルが落ちてすみません。

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白金陶芸教室の創始者の一人、芸大卒、イラン生まれの博士号保持者サブーリ・ティムール先生の作と、手前が、当方の貝と波シリーズの花器です。上絵と貝がらのフォルムがマッチしていい出来と思っているのですが。プロの作と比べても、そりゃグレードの差は歴然ですが方向は結構いい線行っていると思うのですがいかがでしょうか?

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左が、当方の貝と波シリーズの初期の作品。上絵の具合が今一つですが、ホルムはいいと思っています。右はもっと初期の波の写真から起こした陶板。この元になる写真は、御岳渓谷で偶然撮れた、まさにこの陶板と同じような写真なのです。黒と白とその中間色まで使った、当方にとっては会心の作なのです。説明しないと分からない<独りよがり>の範疇に入る作かもしれません。

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これは貝と波シリーズの最新作。三角錐はロクロで、それ以外は手びねりで作った、ロクロ+てびねりシリーズの第2作目。白マットとペルシャブルーのミックスがかなりうまくいっています。

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これは大量生産売り物用ペルシャブルーの牡蠣。1800円で売り出したが売れませんでした。

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これは大量生産による、売り物用陶板。壁掛けと鍋敷きが選択できます。1800円で売りに出しましたが売れませんでした。

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これも、大量生産による、売り物用陶板。壁掛けと鍋敷きが選択できます。写真ではたいして魅力的に見えないでしょうが、なぜか大変な人気で、ぜひ売ってくれといわれるは、どうやって作ったのですかと大勢の方から聞かれました。実はこの微妙な色使いは、何度も焼き直ししているうちに偶然生まれたもので、再現できるか自信がないので、売ることが出来ませんでした。

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これも上と同様。

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これは、白金陶芸教室の中心、芸大出の角谷先生の作。磁器とガラスカレットのミックスで逆さにして焼成中に自然に変形することを狙ったもの。

以下、生徒さんの作品。

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このタコと次の作品は当方の上絵の先生、広瀬義之先生の作。広瀬義之先生は人間国宝の上絵作家、藤本能道の愛弟子で、彼の遺産をすべて受けついで、奥多摩地区に浮世離れした庵をかまえている作家さんです。広瀬先生の作はみな数十万円の値が付けられていました。

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ここで何が言いたいかというと、当方が自信をもって出した貝と波シリーズは、訪問者、教室の同僚、先生方からちっとも注目されなかった。ところが、片手間に作ったチョウの壁掛けが大変に受けたということをどう受け止めたらいいのか?
貝と波シリーズは教室のスタッフの一人が絶賛して、どうしても買いたいといっていたので、他の方にも受けるだろうと思っていたのですが、この会場ではぴくりともレスポンスが無い。自分でいいと思う作品に他人がレスポンスしない。これは自然教育園の写真展でも全く同じです。 このブログですら同じで、当方が会心の作と思う写真にちっともレスポンスがありません。 ところが、自分では出すのをはばかっていた写真が写真展のポスターになり、ポスターを譲ってくれという方まで現れる。
貝と波シリーズは当方がどうやったら海を表すことが出来るかという、<表現者>としてのあがきなのです。チョウは、海を知らないヒトが多いから、チョウならわかりやすいだろうと見手を考えての作品です。
 この作品展は、生徒さんやスタッフの関係者しか集まりません。しかるにほとんどが女性です。自然教育園の写真展も<図鑑>が好きな人しか通りかかりません。当方の表現はたまたま通りかかる方々と方向が違うから受け入れられなかったのか? 誰に対しても魅力ないから受け入れられなかったのか? 見手に合わせれば受け入れられるのか? 見手に合わせる、それでいいのか?
<独りよがり>がいいのか、見手に合わせるのがいいのか?
実は、アート考察 その7 絵画/写真/陶器クロスオーバーを通して一生懸命考えて、ある解答を得ました。それは明日お話することにします。
いずれにせよ、貝と波シリーズをやめるつもりはありません。もうすでに3つの作品イメージが浮かんでおり、鋭意作成中です。

アート考察 その7-6 絵画/写真/陶器クロスオーバー(最終回) 総括

アート考察 その7-6 絵画/写真/陶器クロスオーバー(最終回) 総括 

ネーチャーズ・ベストで学んだこと。ネーチャーフォトグラファーは、<報道者>から<表現者>に向かおうとする。絵画をベースとするフォトグラファーは<表現者>であり、<報道者>たることはどうやってもできない。絵画をベースとするフォトグラファーはスタジオフォトが向いている。しかし、なにを表現するかそのルーツを得るには、ネーチャーから得るしかない。よって、どちらから出発しても写真の世界は<報道者>であり且つ<表現者>となる。どちら側に偏るかはヒトによるが、当方は<表現者>たることが究極の目標であると信じる。
<表現者>である絵画の世界でもフォトグラファーと同じ視点で自然を見ている人が少なくない。その類似は驚くほどである。<表現者>足らんとすれば、両者は同じところに立っている。
フォトグラファーにせよ画家にせよ、見手との接点を無視することはできない。フォトグラファーはより強く見手を意識し、見せる方法をあみだす。画家は見手をまったく無視する人から強く意識する人まで幅広く存在する。見手を意識する画家は、フォトグラファーと極めて類似した見せる方法をとっている。しかし、当方は見手を意識しない絵画の中からこそ、真なる作品が生まれると信じる。
孤独な時間こそが真なる革新を生む。誰でもわかる革新は真なる革新ではありえない。<独りよがり>こそが必須なのである。では<独りよがり>で十分か?
作品はどこかで、見手とつながる必要がある。作家は<独りよがり>でありながら、しかし見手とつながりたい。この解は、作家は<独りよがり>でありながら、見手に入り口/架け橋を作ってあげることだろう。見手に媚びるのではなく、手を差し伸べるのだ。
<白い花>で認められた田中一村は<秋晴>で見手を意識してしまって、評価されなかった。見手を遠ざけて奄美に移り、ベースは以前と何も変わっていないのに、奄美の非日常を入り口として、見手とつながった。ゴーギャンも同じかもしれない。青木茂は<海の幸>で認められたが、見手を意識してその後の成功が得られずそのまま終えた。画家はみなある程度の技を持つから、技だけでは架け橋とならないのだ。川端龍子は最初から最後まで見手を意識した絵をかき、巧妙な架け橋を使い、その絵の巨大さも見手との架け橋であった。しかし、川端龍子はアントニオ・サリエリとならないだけのたっぷりのあるいは巧妙な架け橋を持つのかもしれない? 伊藤若冲はある人には超絶技巧が、ある人には自然に対する理解が架け橋となり、鈴木基一は琳派自体がすでに不滅の架け橋を内在していた。
どの世界も技という架け橋がある。特に陶芸の世界は<技>が入り口となる。中国の微細細工陶磁器はそれだけで見手とつながる。陶芸は技が極めて多様であることと、技は実用につながるから技自体が架け橋となりうるのだ。最近、再び注目される超写実もじつは架け橋なのかもしれない。最近の見手は<ドクダミの花>を抽象化しても<ドクダミの花>自体をしらないから理解できない。<ドクダミの花>を超写実してあげることによって、どこかで見た<ドクダミの花>として作品とつながる。当方の貝と波シリーズが受けないのは、海を知らない人が多く、貝や波を抽象化してもなんだかわからないが、ピンクの蝶が受けたのは、たまたま、ピンクと蝶が入り口/架け橋となったからだ。
  見手に媚びるのではなく、手を差し伸べる入り口/架け橋を作ることは作家と見手の双方にとって、何もマイナスの要因にならない。しかし、作家が架け橋を作ることに埋没したらそれは作家の終焉を意味するが。
  当方の貝と波シリーズにせよ、花と蝶シリーズにせよ、<表現>の根源は自然であり、現在はネーチャーフォトグラフィーが担っている。当方のネーチャーフォトグラフィーの<表現者>としての出口は写真ではなく、陶芸である。そして、これからは見手との入り口/架け橋を作るよう努力しよう。今追っている<色彩>と<ガラスの質感>は追い込めば入り口となるに違いない。<孤独な時間こそが真なる革新を生む>を信じて。
プロフィール

山海旅人

Author:山海旅人
山海旅人
<南方から黒潮に乗って流れ着いた人の子孫と思われる>
趣味:おいしい魚をたべておいしいお酒を飲むこと。お魚の料理もいたします。海が近付くと元気になると人にいわれます。

座右の銘:<芸といふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの> 
実写とデフォルメの間に真実があるという意味です。

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